あなたに知ってほしいことは、完成形のイメージさえできていれば、できないことはなにもないということです。粘土がその形になることを拒否することがないように、現実もその形になることを拒否することはありません。経過という「作り方」にこだわると、延々と経過の世界を歩むことになります。どこかで作り方を度外視して完成形を想像し「これを作る」と決断しなければそこから一歩も進まないのです。
一日中、無数の思考が頭の中を駆け巡ります。そのうち本当に必要なのは「これがしたい」という意図と、「それをしよう」という決断だけです。その他の思考は、ただいたずらに「それをする」という決断を遅らせるだけで実のところなんの役にも立ちません。
「どうすればそれができるか」という方法を探る思考はその最たるものです。現状の確認、現在の自分のポジション、その状況に至った経緯、自分をその状況に追いやった出来事、それに関わった人物、その人物への怒り憎しみ、自分がしたいことを達成している者への嫉妬、そうした「どうでもいい」ことが頭の中に渦巻きます。
「それをしよう」と決断すればいいだけなのですが、そうして思考は他のところへと寄り道しては決断を遅らせます。「それをしよう」という決断以外は、決断をしない言い訳に過ぎません。思考の殆どは耳を貸さなくてもいい雑音なのです。
「したい」という意図と「する」という決断。これだけあれば人生で起こる出来事は成立します。すんなりと実現しないように感じるのは、思考に渦巻く余計な雑音が決断を遅らせるからなのです。従って、究極的に言えば願望を実現する方法というものは存在しません。強いて言葉で表現するとすれば「する」と決めることぐらいなのです。

