願望実現

願望実現

実現へのバイパス(3/4)|vol.114

再度願望から実現に至る三つの判断の段階をおさらいしておきます。「したいかしたくないか」「できるかできないか」「するかしないか」。この三つの段階を「したい、できる、する」とクリアすれば願望実現です。繰り返しになりますが、このうち「できるかできないか」は、本来判断する必要がないし、正しく判断することは不可能です。 よって真ん中の「できるかできないか」の判断はバイパスできます。
願望実現

実現へのバイパス(2/4)|vol.113

願望実現の一般的なプロセスを考えてみましょう。まず自分が偶然興味を持ったことや、友人の誘いなどのきっかけが起こります。例えばそれが友人からの「スノーボードを始めてみない?」という誘いだったとしましょう。それをきっかけにして最初のステップである「したいかしたくないか」の判断がされます。 そこで「よし、やってみよう」となると、次のステップである「自分にできるかできないか」という判断がされます。
願望実現

実現へのバイパス(1/4)|vol.112

願望の最初のステップは「したいかしたくないか」の判断です。そのステップで「したい」と判断されれば、次は「できるかできないか」の判断となります。大概の場合はこの二つの判断を行ったり来たりします。 この二つの判断を行き来している状態が願望です。「したいかしたくないか」「できるかできないか」。
願望実現

自分との闘い(4/4)|vol.111

苦しみから抜け出す唯一の方法は「闘うな」です。「したい」と願った自分と、それを「出来ない」と判断した自分との闘い。「変わりたい」或いは「変えたい」という自分と、「変われない」という自分との闘いです。 相手は常に「自分」です。「できない」と主張する自分に勝てば、確かに願望は実現するでしょう。しかし、自分に勝つこと無理ではありませんがほぼ不可能です。
願望実現

自分との闘い(3/4)|vol.110

「できない」と判断していたものが、経験や鍛練によって「できる」と判断できるようになったら願望は実現します。確かに理にかなっているのですが、同時にそれはエゴ的な手法であり、「できる」と判断できるようになるまで自分に鞭を打つ手法でもあります。 できないあなたが悪いのではありません。単に「できるできない」の判断をすると、ほぼ100%「できない」の判断が下されるだけなのです。悪いわけでもなく欠点があるわけでもないのに「お前にはできない。できないお前が悪い」と鞭を打たれる自分の立場を考えてください。そんな理不尽なことがあるでしょうか。
願望実現

自分との闘い(2/4)|vol.109

「したい」という前半部分と「できない」という後半部分が別物であることを認識するといいのです。「願望実現」と一括りにするのではなく、「願望」と「実現」が全く別の話であることを知るのです。前半部分の「したい」が願望を、後半部分の「できない」が実現を表しています。あなたが関与できるのは願望の部分だけです。実現の部分には関与できません。
願望実現

自分との闘い(1/4)|vol.108

生きていると、考えるだけ無駄なことがたくさんあります。例えば「死ぬのが怖い」。これの何が無駄かというと、考えたところでどうにかなるわけではないからです。「死ぬのが怖い」と考えれば考えるほど安楽に死ねるというならいいのかもしれませんが、残念ながらどんな死に様なのかなど誰にもわかりません。考えるだけ無駄だし、無駄に恐怖心を煽るだけで何のメリットもないのです。
願望実現

願望から意図へ(4/4)|vol.107

願望は「したいけど出来ない」状態であることが苦しいのですから、後半の「出来る出来ない」の判断を外します。そうすると前半の「したい」という判断が残ります。そこで止めておけばいいわけです。大概の場合は「でもどうやって?」という「出来る出来ない」の判断がすぐに出てきますが、何度も言っている通り出来る出来ないはあなたが決めることではありません。よってその判断には意味がないのです。
願望実現

願望から意図へ(3/4)|vol.106

素朴な疑問なのですが、今できないことはいつできるようになるのでしょう。いつか出来るようになる日を願うのが願望なのでしょうか。当たり前のことですが、どこかのタイミングで出来るようにならなければ、いつまで経っても出来るようになりません。「自分には出来ない」が「自分にも出来る」にならなければ、同じ状態が再生産され続けることになります。
願望実現

願望から意図へ(2/4)|vol.105

願望を持ったときに「出来る、なれる」と言い切れるほどの積極的な根拠はないかもしれません。かといって、「出来ない、なれない」と言い切ることもできないはずです。出来るか出来ないかはわからないのですから、決めつける必要はあるでしょうか。