あなたの願望は叶ったらそれで完結なのでしょうか。いま抱いているその願望が完結しても、きっと続きがあるでしょう。例えば、プロ野球選手が夢だったとします。プロ野球選手になったら夢は叶ったことになりますが、願望はそこで終わりでしょうか。きっと次の夢は個人タイトルを獲ることだったり、そのチームで優勝することだったりするでしょう。
そうであれば、プロ野球選手になったのは通過点に過ぎません。そのように、人生はいつでも途中経過であり未完なのです。あなたの肉体が消滅するそのときまで完結というものはありません。瞬間ごとに絶え間ない変化が起こり続けるもの、それが人生です。人生が完結するまで、全ての出来事は途中経過なのです。
全てが途中経過ですから、結末は「わからない」のです。今この時点で「したいこと」を「出来ない」と判断することはナンセンスです。「出来るか出来ないか」という判断をする思考が出たら、答えはいつでも「わからない」です。結末を見るまで本当にわからないのですから。
したいことがあるときに「出来るか出来ないか」、なりたい自分があるときに「なれるかなれないか」。単純なこの二択のうち「出来ない」「なれない」を選ぶのはなぜなのでしょう。なぜそんなことがわかるのでしょうか。そして、絶対にそう言い切れるのでしょうか。「出来る」「なれる」の確信がないからそう言っているだけではないのでしょうか。
「出来ない」「なれない」その思考が浮かんでくること自体は仕方のないことです。思考は勝手に浮かんでくるので、どんな思考が浮かんでくるかは選べないのです。ただ、浮かんできた思考を採用したり、承認や追認をするのはあくまでも自分です。
こう考えるとわかりやすいかもしれません。頭の中では会議が行われています。これからしたいことや、なりたい自分についての会議です。そこで「出来る、なれる」派と「出来ない、なれない」派の討論が行われています。このとき、あなたは議長であり最終決定権者でもあります。
「出来ない、なれない」を支持する理由はなんでしょう。なぜそれを採用してしまうのでしょう。それが「出来ない、なれない」となぜわかるのでしょう。そして、そもそも「出来ない、なれない」を採用することのメリットはなんでしょう。
「出来ない、なれない」の具体的な理由や根拠を聞いているのではありません。単に「出来ない、なれない」を採用することにメリットはあるのかどうかという話です。現実的な可能性の話ではなく、利点はなにかです。


