願望とは、今の自分とは違う自分になることを望むことです。そのときに必ず出てくるのが「どうしたら」という疑問です。そうして手段や方法を知りたがるのですが、残念ながら手段や方法などありません。強いていえばその自分に「なる」ことです。なったら方法や手段がわかるのです。したがって、とにかく先に「なる」のです。
そしてここに鉄の掟があります。ブドウを収穫するにはブドウの木が必要です。リンゴの木からはブドウは収穫できません。当たり前のことです。これはここまでお話しした通りです。しかし、人の願望はほぼ全てリンゴの木からブドウを収穫しようとするものばかりです。
貧乏なのにお金持ちの実を、不幸なのに幸せの実を収穫しようとします。異なるものを収穫しようとしているのですから、それは無茶な願いです。したがって、人間の願望はほぼ100%叶いません。鉄の掟に反しているからです。貧乏は貧乏で、お金持ちはお金持ちです。リンゴはリンゴ、ブドウはブドウと同じことです。元々の木の種類とは異なる果実を得ようとしても無理なのです。
けれど、ほとんどの人がそのことに気付いていません。貧乏な自分がお金持ちの実をいつか食べられるかもしれないと勝手に期待しています。そんな瞬間は未来永劫やってこないのですが。望む果実を収穫するには、その実をつける木でなければならないのです。ブドウが欲しければブドウの木。お金持ちが欲しければお金持ちの木です。
貧乏はお金持ちではありません。ごく当たり前のことですが、驚くことにこのことを見逃しているのが人間です。貧乏なのだから収穫される果実が貧乏なのが当たり前なのですが、そんな単純なカラクリに気付いていないのです。お金持ちになるにはお金持ちになるしかありません。貧乏のままではお金持ちにはなれないのです。
貧乏のままではお金持ちになれない。なぜなら、貧乏はお金持ちではないから。確かにこれは当たり前のことしか言っていません。しかし、その当たり前のことを誤解したまま生きているのが人間なのです。お金持ちになるにはお金持ちになるしかないというのは、まず貧乏をやめる必要があり、お金持ちになる必要があるという意味です。
あまり制限をつけるのは良くありませんが、あえて「必要がある」と言いました。そして、これもまた正しい表現とは言えないかもしれませんが、そうなりたいのなら先に「なる」のです。お金持ちになりたいなら、まず先にお金持ちになる。幸せになりたいなら、まず先に幸せになる。逆に言うと、あなたがすべきことはそれだけです。


