願望を実現することの目的は悩みの解決です。要するに思考の堂々巡りをやめるために願望を実現したいのです。実際のところ、思考の堂々巡りが止まりさえすれば手段はなんでもいいのですが、思考は願望を実現するという手段でそれを達成しようとします。
願望実現の目的は今の認識を改めることということになりますが、そもそもあなたの悩みの種となっている最初の認識は正しかったのでしょうか。そして、その認識を変えるためには願望を実現する以外に方法はないのでしょうか。願望の実現とは、認識を変えるに値する証拠が見たいという思いに他なりません。
通常、映像が言語化されるときには大幅な圧縮が行われます。例えば、あなたが今日見た車はどんな車だったでしょう。ボディータイプは何で、色は何色で、ナンバーはいくつだったでしょう。何十台、何百台の車があなたの視界に入っていたはずなのですが、全くと言っていいほど記憶にないでしょう。映像の大部分がカットされ、印象に残ったごく僅かな部分だけが言語化されていることがよくわかるのではないでしょうか。
あなたが見ていなかった部分、見たとしても記憶に残らなかった部分は無かったことになります。あなたが言語化という認識を行い、現実として扱っているものの影で大部分が無かったことにされているのです。さて、その無かったことにされた部分には何があったのでしょうか。
あなたは映像のうちの大部分を捨て、ほんの一握りの言語化された部分だけを現実としています。こう考えるとなんと微細な現実なのでしょうか。あなたが捨てた大部分には何があったのかというと、あなたが現実と認識した以外のものが全てあるということになります。大袈裟に言えば、宇宙で起こったことの大半は捨てられてしまっているのです。
幸せなあなたも、お金持ちなあなたも、モテモテなあなたも残念ながら今日は捨てられてしまったかもしれません。けれど、捨てられたからといって無いわけではありません。あるのですが捨てられたか、単にそれが言語化されなかっただけなのです。そこにあなたが認識を変えるに値する証拠があるのです。


