思考を眺めてみよう(2/4)|vol.53

願望実現

世界に対するイメージは、これまで塗装に例えたり、鍋の焦げに例えたりしてきました。それらを一瞬で、しかも世界丸ごと本来の状態に戻す方法があります。それは言語の放棄です。言葉があるから、それらが何なのかを説明できてしまうし、もっと言えば自分という概念すらも認識したり説明したりできてしまうのです。「自分とはなにか」という深淵な問いも、言葉があるからできることでしょう。

言葉はそれが何なのか分類し概念を語ります。言葉がなければ「それ」に名称はなく概念もありません。言葉を自在に操れるようになるまで人間は概念というものを持っていませんでした。言葉がないなら、それを適切に説明することもできないからです。

生まれたての赤ちゃんや、言葉が未熟な幼児は素直にありのままの世界を見ています。だから彼らは生き生きとして見えるでしょう。そして成長と共に言葉を覚えていきます。言葉を覚えていくことと、概念が創られていくことは同じことです。

パパ、ママ、手、足、お腹、ご飯、おやつ、おもちゃ、おうち、おそと、人、大人、子供、動物、自分、他人…。言葉と同時に、それがどういうものなのかという固有の概念も語られていきます。

嬉しい、悲しい、楽しい、苦しい、できる、できない、幸せ、不幸せ、お金持ち、貧乏、成功、失敗、能力、才能…。言葉の概念と言葉同士の組み合わせによって、概念はいよいよ固まっていきます。

自分には才能がない。これは失敗するだろう。どうすれば成功できるのか…。言葉を覚え概念が形成され、言葉同士が複雑に組み合わされ、現実はいよいよ複雑になっていきます。あなたは生きていくにはあまりにも多くのことを知りすぎたのです。言葉を使いすぎ、言葉こそ真理としてしまいました。

思考には言葉が必要ですが、それは同時に言葉によって悩み、それを言葉によって解決しようとすることに繋がります。放っておいても頭の中で目まぐるしく言葉が行き交いますが、もし言葉がなければ何も考えられません。その時その時を直感で動き、本能で生きることになるでしょう。

言葉があるから概念が発生し、概念があるから悩みが発生したのです。悩みとは「それ」の概念の変化を求めてグルグルと考え続けてしまう状態のことをいいます。不幸という概念について考えて、どうすれば不幸という概念から脱せられるのかをまず考えます。不幸の対極にある幸福について考えて、では不幸という概念から幸福という概念に自分を置くためにはどうすればいいか考えます。

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