エゴはある意味「記憶装置」といえます。エゴが知っているのは過去だけなので、過去を踏まえた今を見てしまうのは無理もない話です。過去を踏まえて今を見ることは、統計的に現実を認識しようすることです。
過去の経験から、現実とはどのような場所でどのように振る舞うのがいいかということを分析し、そのルールに則って世界を見ています。一見それは、合理的な生き方に思えますが弊害もあります。
過去の統計から導き出された傾向と対策は、していいこととダメなこと、するべきこととしなくてもいいこと、自分に出来ることと出来ないことを自然に振り分けます。これらは全て自分だけのルールなのですが、あまりにも自然に振り分けられるので、それが世間の常識と錯覚してしまいます。
特に出来ることと出来ないことの振り分けは、それが実行できるか願望となるかの分かれ道となります。出来ることは即座に実行されますが、出来ないことは実行が保留されてしまいます。僕らはこの実行が保留されたことを願望と捉えます。
出来ないこととして振り分ける根拠は、これまでに出来たことがないからという単純なものです。それを根拠に、本当なら実行できているはずのことが保留されることがあるのです。
しかし、脳にこびり付いた「出来たことがないから出来ない」という根拠は簡単に消えてはくれません。「幸せになったことがないから」出来ない。「お金持ちになったことがないから」出来ない。本当にそうでしょうか?
エゴはこれまで経験したことの傾向から「出来たことがないから出来ない」と根拠を示したつもりになっていますが、それは「やったことがないから出来ない」と同義です。だって、何かを実現しようとする度に毎度「やったことがないから出来ない」という理由で、断念してきたんですから。
やったことがないなら出来るはずがありません。全く理由になっていないのです。あなたは幸せになったことがないから幸せになれないのではありません。そもそも、幸せになろうとしてこなかったから幸せになれないのです。

