「できなくてもどうってことない」と「できなかったらもう終わりだ」は、同じ「できない」が前提でも深刻さがまるで違うでしょう。しかし、深刻さが違えど根底にあるのは「できない」というただ一つの前提であることに変わりはありません。ここでの問題は深刻さではなく、そもそも「できない」という前提が正しいかどうかです。
「できない」という前提は確固としてここにあるでしょう。何かを「したい」という欲求は全て願望ですが、願望である以上は全て前提が「できない」になっているということでもあります。なぜなら「できない」がないなら「できている」或いは「できる」はずだからです。できていることやできることは願望にはなりません。裏を返せば、願望とは「したいけどできないこと」といえます。
したいけどできない状態は苦しいでしょう。願望は全て「したいけどできない」状態なのですから、願望を持つこと自体が苦しみであるといえます。例えば「期日までに支払いをする」ということは誰にでも当たり前に起こりますが、このときに手元に支払えるだけのお金がないし、期日までにお金が入ってくる予定もないとしましょう。このとき「期日までに支払いをする」は「できない」ことになります。したいけどできないのだから、これは願望となるのです。
実は願望というのは「したいけどできない」ということを別の表現で言い替えただけなのです。なんのことはありません、要するに「できない」という宣言なのです。願望という言葉に夢や希望というニュアンスは含まれていません。むしろ事実上の敗北宣言であることに気付くべきです。
できないからできるように頑張る。できないからできる方法を模索する。こうしたことは逆効果です。なぜなら頑張ったり模索したりすることは「できない」が前提にあるからです。必死になればなるほど「できない」や「難しい」がどんどん強化されていきます。だから叶えるために頑張ったり模索したりするよりも先にすべきことがあります。頑張ることをやめ、模索することをやめることです。叶えようと頑張らず、叶える方法を模索せず、叶えようと必死にならず。そうした方が実現に近いのです。

