思考とは「思い」について「考える」こと(3/3)|vol.144

願望実現

湧き出た「思い」について、全てを承認する。その方が、承認したり否認したりをケースバイケースで変えるよりも遥かにいいのです。「幸せだ」も承認するし、「不幸せだ」も承認する。「不幸せだ」を認めるのは嫌かもしれませんが、それに反発して「認めたくないけれど、認めざるを得ない」となると苦しみが発生します。「不本意ながら認めざるを得ない」のが苦しみの発生源であることを覚えておいてください。

湧き出た思いに対する反発が悩みとなります。例えば、自分が不幸せだと感じている人にとって「幸せだ」という言葉には「そんなことない」と反発してしまうでしょう。逆に「不幸せだ」は本心でそう思っていますが、それを認めることも癪だから反発してしまうでしょう。「不幸せだとは認めたくないけれど、認めざるを得ない」といったところでしょうか。

「幸せだ」と呟けば「とてもそうは見えない」と反発し、「不幸せだ」と呟いたら「認めたくない」と反発する。「思い」に対して反発するから余計に苦しくなってしまうのです。

そうして「思い」に反発して気分を害すより、何から何まで認めてしまう方が気分がいいのです。「不幸せだ」を認めて気分が良くなるはずがないと思うかもしれませんが、いっそのこと潔く認めてしまうと案外とスッキリするものです。

「思い」とは何かというと、現実を見て感じたことと定義していいでしょう。云わば現実に対する感想のことです。その「思い」に反発することが苦しみの発生源です。要は反発しなければいいのです。幸せとは信じられなくても、不幸せだと感じているとしても、反発せずに「そうだね」と同意してしまうといいのです。その思いは全て自分の中から出てきたものなのですから、素直に受け入れてやることが大切です。

不幸せを受け入れることが良いこととは思えないかもしれません。けれど、「思い」への反発が苦しみであり、「思い」への同意は安らぎなのです。思いの内容に着目してしまいがちですがそうではないのです。思いの内容は重要ではありません。思いに反発するか同意するかが重要なのです。

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