大人たちは、なぜ自分に無限の可能性があることを忘れてしまったのでしょうか。無限の可能性は、あなたが生まれたときからあなたと共にありました。実際、子どもの頃は何にだってなれたはずです。歌手でもスポーツ選手でも、レーサーでもパイロットでも、大金持ちでも有名人でも。あまりにも何にでもなれるのが当たり前過ぎて、将来の夢がコロコロ変わることも珍しくありません。
ついこの前までレーサーになりたいと言っていたのに、飛行機に乗ったことをきっかけに「やっぱりパイロットになろうと思う」なんて簡単に口にできてしまうのです。なぜなら、そうなれるのが当たり前だからです。
大人のように「勉強を重ねていい大学に合格して、難関試験を突破して、是が非でも○○になるんだ!」なんていう肩に力の入った決意ではありません。「やっぱりパイロットになろうかな」といった程度の、力の抜けた緩い決意です。
大人になるに連れて、可能性の扉はどんどん狭くなっていきます。子どもの頃のように「○○になろうかな」という力の抜けた決意が難しくなっていくのです。その理由は不可能性を考えるようになるからです。正確には、ありもしない不可能性を考慮するようになるからです。
不可能性とは要するに、頭の中で可能性を封じ込めた結果として生まれるものです。当然ながら本来は必要のないものですし、実際に実体があるわけでもありません。大人たちの大半はこの「可能性を封じ込める癖」がついてしまっているのです。
可能性を封じ込めるゴーストを頭の中に飼っているとでも言うべきでしょうか。個人差はありますが、子どもの頃はこの「可能性を封じ込める癖」がついていないか、大人ほど強くないことが多いのです。子どもの無限の可能性の秘密がそこにあります。結論から言えば、可能性は大人にも子どもにも平等です。可能性封じを行うか行わないかの違いだけなのです。
可能性とは自由さのことです。子どもの頃は、どの方向に進むかは自由です。大げさに言えば、自分の人生がどの方向に進んでも構わないことを知っているのです。子どもは将来の夢がコロコロ変わることも珍しくありませんが、それだけ自由であることの証左ともいえるでしょう。大人とは結局、自由さを失った子どもなのです。そう解釈すると合点がいく人も多いのではないでしょうか。


