子どもは可能性に満ちているとよくいわれます。そしてこれは事実です。ある程度人生が進んでいくと、人生の方向性を変えることが難しくなってくるからです。本当にしたいことを模索しながら生きてきた人や、なんとなく安定を求めて生きてきた人は特にそうでしょう。本当にしたいことがわかったとしても、自分がある程度の年齢になっていると、今まで歩んできた道から方向転換することが怖くなり断念してしまうのです。
これまでに歩んできた道は、その人のアイデンティティです。あなたは自分が何者であるかを、ある程度説明することができるでしょう。これまでの歩みや家族構成、仕事や社会的地位といったものです。それをガラッと変えるというのは年齢を重ねるほど難しくなります。
一方、子どもたちは良くも悪くもまだ何者にもなっていません。方向を変えるという以前に、まだ方向自体が決まっていないのです。よって子どもたちは、これから「何者にでもなれる」。これは大人と比較したときの圧倒的なアドバンテージです。
子どもは「これから」であり「今はまだ何も決まっていない」、だからこそ全方向に対して可能性しかないのです。ところがです。実のところ、こうした子どもたちの無限の可能性を信じているのは大人たちだけです。それも、ある程度人生の方向が決まってしまっていて、方向転換が困難であるか、転換することに多大な勇気を必要とする大人たちです。
「もしもう一度子ども時代に戻れたら」と、想像を捏ねくり回しては「子ども時代に戻れたとしたら、この道には絶対に進まない」などと現状を愚痴り、子どもの「これから」を羨ましがる人たちです。
そうした人たちは致命的な勘違いを犯しています。あたかも「これから」があり、全方向に対して可能性に満ちているのは子どもたちの特権であるかのような振る舞いです。子どもたちに無限の可能性がある。大半の大人がそう信じているし事実です。しかし、無限の可能性は子どもたちの専売特許ではありません。
「自分にも無限の可能性が与えられている」ことに気付いている大人は非常に少ないのです。「子どもには無限の可能性がある」というのは単なる勘違いです。「すべての人に無限の可能性がある」のが正解なのです。


