自分の人生について、あたかも他人に決められているかのように語る人がいます。ありがちなのは「親が敷いたレールに乗って生きている」といったような言い回しです。この手のことを語ったり思ったりする人には、「決して今の人生に満足していない」という共通点があります。要するに「親が敷いたレール」なるものから見える車窓の景色が気に入らないというわけです。
誤解のないように先に言っておきたいのですが、親ないしは他人の敷いたレールに乗って生きている人など誰一人いません。壮大なる人生の勘違いなのです。あなたの人生を鉄道旅行になぞらえるなら、そのレールを敷けるのはあなたしかいません。あなた以外の誰が、あなたの人生のレールを敷くというのでしょう。
それでも親の敷いたレール派は納得しないでしょう。行き先も方向も既に定められており、途中下車も許されないノンストップ急行です。自分の意志で行き先や方向を変えようにも、レールに乗ってしまっているのですからハンドルすらも存在しません。あなたは憂鬱な車窓の景色を眺めながら、親の敷いたレールの旅を渋々続けることになります。
ところが、先ほど言った通りあなたの人生のレールはあなたにしか敷けないのです。どこからどう見ても親や他人が敷いたレールに見える人もあるでしょう。それは、自分で敷いたレールに「親が敷いたレール」という名称を付けたからです。シベリア鉄道やアラスカ鉄道と同じように、それが名称となっているだけなので、実際にそれを敷いたのは他ならぬ自分なのです。
自分が敷いたレールに「親が敷いたレール」とか「他人が敷いたレール」あるいは漠然と「決まったレール」などと勝手に名称を付けて、そこから逃れられないことを運命や宿命なんて思い込んでしまうと、人生が窮屈になってしまいます。あなたはあなたの行きたい場所へレールを伸ばしていけばいいのです。


