自分との闘い(2/4)|vol.109

願望実現

「したい」という前半部分と「できない」という後半部分が別物であることを認識するといいのです。「願望実現」と一括りにするのではなく、「願望」と「実現」が全く別の話であることを知るのです。前半部分の「したい」が願望を、後半部分の「できない」が実現を表しています。あなたが関与できるのは願望の部分だけです。実現の部分には関与できません。

「したい」と「できない」を同時に行うことは、車に例えると「したい」というアクセルを踏みながら、「できない」というブレーキを同時に踏んでいるようなものです。それでもジリジリと前に進んでいくかもしれませんが、目的地に着く前に車は壊れてしまうでしょう。

ここでいう車とは、言うまでもなくあなた自身です。願望を持っている状態は壊れる可能性があるほど大きな負荷がかかっているということです。願望から「できない」という後半部分を差し引くと、「したい」だけが残ります。本当の意味での願望とは、この純粋な「したい」だけが残った状態なのです。

あとのことはわかりません。実現するかもしれないし、しないかもしれません。それはあなたにはわからないし関係のないことです。ここでいう関係のないことというのは関与できないという意味です。

本来の願望とは「したいことをする」と決めることであって、「したいけどできない」と嘆くことではありません。「できるできない」の判断から下りて「したいけどできない」から「したいからする」に願望そのものの定義を変えるといいでしょう。

「歯を磨きたいから歯を磨く」「水を飲みたいから水を飲む」「食べたいから食べる」「寝たいから寝る」「そこへ行きたいからそこへ行く」。気付いていないかもしれませんが、日常の行動は全て願望実現の繰り返しです。あなたはそれらの行動をいちいち「できるできない」で判断していないでしょう。「できない」という発想自体がなく。単に「する」を選択しているのです。

願望を願望のままにするか、願望と実現をセットにするか、その境目は「できるできない」の判断をするかしないかです。それを判断しなければ、願望と実現はセットなのです。ここで一つの疑問が湧き起こります。「できるできない」の判断をしているときに「できる」を選択した場合はどうなるかです。

もちろんその場合も願望と実現はセットになります。ただしこれには注意が必要です。というのも、「できるできない」の判断が行われたときに「できる」が選択されることはほとんどないからです。ほぼ100%「できない」が選択されると言っていいでしょう。なぜなら「できるできない」を判断しているという時点で、既に「できる」ことを疑っているからです。

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