幸せのグラデーション(2/4)|vol.89

願望実現

メディアで報道されるニュースは複数人の主観が入っているため、ある意味では比較的常識的な解釈と言えるかもしれません。主観が重なっていくということは、複数の違う視点が挟まるということですから、ニュースのチェック機能を果たしているといえます。もしこれが全て一人の視点によるものだったら、ただの個人的な感想です。

一人が目撃し、取材し、編集し、報じ、解説する。もしそんなことがまかり通ったら、ニュースはでっち上げし放題、捏造し放題になります。そうなったら事実や真実は闇の中です。報道は意味をなさなくなり、何を信じればいいかわからなくなるでしょう。

ここまで言ったらもうわかったことでしょう。あなたの現実が正にこの状態なのです。あなたの視点から世界を目撃しているのはあなたしかいません。なにが起こったかという判断は、メディアでいうところの取材です。それについて考えるのが編集、事実と認定するのが報道、原因や今後について語るのが解説としておきましょうか。

言ってみれば思考は、目撃、取材、編集、報道、解説を全て一人で行っているメディアのようなものです。誤報やフェイクニュースが混じっていてもチェックする第三者がいないためそのまま報じられてしまいます。非常に自由ではありますが、プロパガンダ的な危険性のあるメディアとも言えるでしょう。

あなたは自身の頭の中を駆け巡るこのメディアの放送をすっかり信じてしまったのです。あなたの現実が今そう見えているのは無理からぬ話なのです。一つの事象を取り上げて、あたかも全てがそうであるかのように扱うことが思考の常套手段です。思考の正体はかなり偏ったメディアのようなものです。憶測、捏造、曲解、誤報、プロパガンダが多分に含まれています。

そもそも、真実というものは一つもありません。あなたが認識した瞬間に、例えそれが誤報であっても真実となります。正しかろうと誤りであろうと、あなたが認識したものが真実なのです。よってこのメディアは真実の種を報道しているといっていいでしょう。全て間違いだといえば間違いだし、全て正しいといえば正しいのです。なぜなら、真偽のほどはあなたが決めているからです。

如何なる思考も浮かんだ時点では真偽は確定していません。そこにあなたによる真偽のジャッジが入り、事実か空想かが決まります。真とすれば事実に、偽とすれば空想に分類されるわけです。ところがこの真偽のジャッジが曲者です。なにしろ全てが自分によって行われているので正解がないのです。フィーリングで決めているといっても過言ではありません。

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