何が幸せで、何が不幸せなんでしょう。非常にシンプルな答えの一つは、いい気分は幸せで、嫌な気分は不幸せです。いい気分は心地いい思考だし、嫌な気分は不快な思考です。幸せとは極論するといい気分であればそれでいいのであって、何かがあったからというのは関係がありません。
実は願望の実現と幸せは無関係なのです。幸せとはあくまでも心地いい気分であることです。その心地いい気分を味わうために願望を叶えようとするのですが、それはあくまでも手段として有効であると思っているだけです。
頑張って何かを叶えなくても、あなたは幸せであっていいのです。逆に言えば、幸せになるために頑張って何かを叶える必要はないのです。願いが叶ったからといって幸せとは限らないし、願いが叶わなかったからといって不幸せとも限りません。夢が叶うことと幸せであることは全く別のことなのですが、それをセットにして考えているのがエゴです。
夢が叶うことと幸せであることをセットにして考えるとなにが起こるでしょうか。夢が叶うまで幸せにはなれないという思考が発生します。夢が叶うまで幸せになることを許せないと言った方がいいでしょうか。つまり夢が叶うまで幸せの保留が延々と続くのです。
シンプルに考えてください。いい気分になる思考を認識し、採用し、現実とすることが幸せなのです。夢が叶ったという要素は必要ないのです。もちろん、夢が叶ったからいい気分でも構いません。ただし、いい気分になる方法は無数にあり、夢を叶えることが必須事項ではないことに気付くべきなのです。
単にいい気分。何かがあったからとかではなく、ただただいい気分。願望を実現するために費やしている情熱を、いい気分になるために少しだけでも注いでみてください。いい気分であることを優先するのです。
ということは、あなたが見ている現実と、あなたが幸せであることには関連性がないということでもあります。あなたがどんな現実を見ていようが、あなたは幸せであっていいのです。どんな状況にあっても幸せとは、ただの能天気と思うでしょうか。けれど、幸せならそれでもいいではありませんか。現実が理想の姿に見えるようになるまで幸せを保留している方が無意味でしょう。
夢を叶えたいとか、願望を実現したいというのは、理想的な映像を見たいということです。確かに、理想的な映像を見れば、いい気分になることは難しくなさそうです。しかし今、映像と幸せが無関係であることがわかりました。今見ている現実という名の映像、それがどんな映像であっても幸せを感じるか、理想的な映像を見るまで幸せを保留するか。あなたはどちらを選ぶでしょう。
そもそも、あなたが見ている現実や現状と呼ばれる映像は既に過去です。ニュースと同じで既に起こったことを言語化しているのです。現実に関係なく幸せであっていいとは、過去に関係なく幸せであっていいということと同じです。


