嫌な気分になる思考が、嫌な出来事という認識となり、嫌な現実が起こったと捉えられるのです。そして嫌な現実は嫌な思い出として記憶に刻まれていくことになります。なんとも皮肉な話です。逆に、いい気分を引き出した思考は嫌な気分になる思考ほどは印象に残りません。一日のうちで気分のいい瞬間もあったはずなのですが、それよりもインパクトの強い嫌な出来事があると記憶が上書きされてしまうのです。
インパクトのある嫌な記憶ばかりが残れば、人生が辛く感じるのも無理はありません。不幸せな人生はそんなちょっとした記憶の積み重なりで創られてしまったのです。どの思考が印象に残ったか、その都度選ばれた現実が記憶として積み重なったのがあなたの人生です。
あなたの人生は不幸せなのではありません。その時々でインパクトのある思考を認識した結果、積み重なった記憶が人生なのです。もしあなたが不幸せと感じているなら、あなたの記憶にはたまたま不幸せな認識が多いというだけです。不幸せな現実ばかり体験してきたわけではありません。結果として、不幸せな記憶が多いだけなのです。
思考が認識されると現実となりますが、思考が浮かんだ時点ではまだ認識はされていません。単に思考が浮かんだだけです。同じ場面を目撃しても、テレビ局や新聞社によって見解が分かれるように、目の前で起こった出来事に対しても複数の見解が出現することもあります。
仮に二つの見方が思考に浮かんだとして、そのどちらを選ぶかによって現実は変化します。そういう意味で認識とは選択と言えるでしょう。どの思考を選択し採用するか、それが認識です。そして、認識イコール現実でもあります。
現実として何を選択するかが第一の選択だとして、その次に出てくるのがその出来事に対する感想です。これは、見聞きしたニュースにどんな感想を持ったかということに近いです。同じニュースでも聞いた人によって感想は千差万別です。それはニュースに対するコメントを見ても明らかでしょう。そこでまた選択、すなわちは認識が起こります。そうして出来事は現実として確定していくのです。


