自分の幸せを諦める(2/4)|vol.81

願望実現

日本には「情けは人のためならず巡り巡って己が為」という言葉があります。これを、親切にするといつか見返りや恩返しがあるという文脈で読み取っている人は誤読です。情けは自分のためにかけているのには違いありませんが、直接的な恩が返ってくるからではありません。自分がいる世界を丸ごと優しい世界にするために、自分以外に情けをかけるというわけです。

「幸せだ」その言葉に対して個別の案件を持ち出して、他人の幸せを許さず、自分の幸せを認めない。それらは全てエゴによる抵抗です。なぜ抵抗するのかということを論じても仕方がありません。エゴは簡単には幸せを認めない頑固者なのです。

それがエゴの習性です。幸せだけでなく、豊かさや愛されていること、裕福だとかモテるということ、どんな願望の要素も簡単には認めません。意地悪に感じるかもしれませんが、そうではなく極めて慎重で、気を抜くな、努力を惜しむなという論調であるだけです。

なんだか人生の鬼コーチのような存在がエゴなのです。そのような性質ですから、あなたが「幸せだ」と呟いても簡単には首を縦に振ってくれません。いつまでエゴコーチのスパルタ人生を歩むつもりでしょうか。そのコーチに従ったところで、今までうまくいった例があったのでしょうか。

あなたの幸せを認めていないのは、世界中探してもあなたの中に棲みついているエゴだけです。願望とはつまり、エゴによって作られた幸せのハードルです。「これを越えられたら幸せと認めてやろう」というわけです。しかし、叶ったとしてもやはり簡単には幸せと認定してくれません。正確には、一時的には認定されますが直ぐに「なにかが足りない」とまた新しいハードルが設定されてしまいます。

エゴが抵抗するときの論調は決まって同じです。個別の案件を持ち出して、それを根拠として認識を却下します。エゴは極めて限定的な視野しか持っていないのですが、あたかもそれが現実の全てであるかのように振る舞います。

それはある種のニュースやドキュメンタリーに似ています。例えば、貧困を取り上げたニュースがあるとしましょう。失業し再就職の目処も立たず、いよいよ借りている部屋を出なければならない人を取り上げたニュースです。そうした人を一人二人取り上げ、おまけに「これがこの国の現状だ」などとご丁寧にナレーションなんて付いていると、この国には大勢の失業者がいて明日の生活もままならない人ばかりのように映ります。

しかし現実は違うでしょう。そのような人がいる一方で、豊かに暮らしている人もいることは明確です。これは一面だけを見てしまうと事実誤認が起こる一つの例です。エゴが語る個別の案件はこのような印象操作と大差ありません。

タイトルとURLをコピーしました