現実は直接は変わりません。映像への認識が変わったときに現実が変わるのです。実際、あなたの現実はなかなか変わらなかったのではないでしょうか。認識が変わっていないのですから現実が変わらないのは当然であるといえます。
あなたの中に認識という木が植えられました。植えられた木に、あなたは無意識のうちに水をやります。そうしていつの間にか成長した木に果実が実ります。思考という果実です。酸っぱい、渋い、苦い。その果実はお世辞にも美味しいとはいえません。
そこであなたは甘い果実を欲します。どうすれば甘い果実が実るのかと思いを巡らせます。肥料をあげればいいのか、陽当りを良くすればいいのかと工夫しようとします。けれど、同じ木からは同じ果実しか実りません。リンゴの木にブドウが実ることがないのと同じです。
あなたがするべきことは、その木に甘い果実が実ることをいつまでも待つことではありません。その木を諦めて、違う木を植えることです。人は思考によって悩みます。思考とは「私の考え」のことです。そして、思考が堂々巡りする状態が「悩み」ですが、悩みは持っているとか抱えていると表現されるように、単に自分で掴んでいるだけなのです。
しかし、悩みはあたかも動かしがたい事実であるかのようにあなたの中に居座ります。なぜ悩みを掴んだままにしてしまうのかというと、あなたの中に認識の木が生えているからなのです。あなたの中にどっかりと根を張り、さして美味しくもない果実を実らせる厄介者の木です。
あなたはこの木しか目に入りません。どうすればこの木から甘い果実を収穫できるかばかりを考えます。けれど、その木から甘い果実を収穫することは最初から無理なのです。一本の木にばかり注目していないで、違う木に目を向ければ良かったのです。木を見て森を見ずという言葉通りのことをあなたはしているということです。
あなたは自分の中に無数の木が生えていることを知らなかったのです。一本の木を見続けて、そこが森であることに気付いていませんでした。あなたが悪いのではありません。少々視野が狭かっただけです。ならば、少し引いた視点から見てみればいいのです。そして、あなたは森に生えている無数の木から、好きな果実を選んで味わえばいいのです。


