【幸福論】「スゴイ人」になろうとするのをやめれば「幸せな人」になる

幸福論

「スゴイ人だと思われたい」というのは珍しい感覚ではありません。容姿、能力、名誉、功績、収入、顔の広さなど、どの部分で評価されたいのかは人によって違いますが、どこかの部分で他人より優れていると認められたいという承認欲求は、誰しも少なからず持っているものです。

中には、自分の子どもに「スゴイ人」になってほしいと、英才教育を施す人もいるでしょう。けれど少し考えてみると、本当に「スゴイ人」になってほしいと願っているわけではないようです。

そもそも人生において「スゴイ人」になる必要があるのでしょうか。スゴいとかスゴくないなんて実はどうでもよくて、「幸せな人」であればいいのではないでしょうか。

SNSで余裕のある生活や、優れた容姿を自慢したところで、一体なんだというのでしょう。フォロワーやグッドボタンが多いからといって、それがどうしたというのでしょう。

類い稀な才能を持ったミュージシャンや、滅多にお目にかかれないような優れた容姿の美人女優でも、自ら命を絶ったり薬物に溺れるというケースは、いくつも思い浮かぶでしょう。

必ずしも「スゴイ人」は「幸せな人」ではないのです。これは多くの人が勘違いしてしまっているのですが、優れた人でなければ幸せになれないわけではないのです。むしろ、スゴさと幸せは無関係といった方がいいでしょう。

自分の子どもに本当に願っていることは「この子がずっと幸せでありますように」それだけです。スゴイ人になってほしいわけではないし、そうなる必要もありません。スゴかろうとスゴくなかろうと幸せであってくれればそれでいいのです。

もし、あなたの中に「認められたい」とか「スゴイと思われたい」といった承認欲求があるのなら、それが幸せの条件となっています。これは裏を返すと、スゴイ人にならなければ幸せにはなれないと条件をつけていることになるからです。

あなたは、スゴイ人になる必要はないし、どこかの部分で評価される必要はありません。そんなことをしなくても、あなたは幸せな人であっていいし、自分で幸せを認めていいのです。

幸せになるために、何か優れた部分を身に付けようとか、スゴイ人だと思われようと四苦八苦するのは本末転倒なのです。スゴイ人になって、羨望の眼差しを受け、幸せになる。その方程式は間違いだったのです。

あなたはあなたのまま、何も身に付けなくて大丈夫です。そのままで幸せになることを誰も止めていません。たとえあなたの自己評価が、「特に取り柄と言えるものがない平凡な人間」だったとしても、それと幸せな人であることに関連性は皆無なのです。

あなたは自分を変えて、今の自分に何かを足して幸せになるのではありません。自分に何かを足したところで、それは単なるあなたの「付属品」であって、あなたそのものではないのです。

付属品を褒められて嬉しいでしょうか。「素敵な服ですね」と言われたところで、褒められたのはあくまでも服であって、あなた自身が褒められたわけではないではないのです。

それよりも「あなたは幸せな人ですね」と言われた方が嬉しくありませんか?あなたはシンプルに「幸せな人」であればいいのです。あなたが決めてください。「私は幸せだ」と。

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