願望実現

願望実現

可能性の議論をやめる(2/4)|vol.97

大人の場合は自分の能力や周囲の状況といったことから実現可能性を算出しようとしますが、子どもたちにとってそんなことはお構いなしです。叶うか叶わないかはさほど重視しておらず、純粋に叶うと信じて祈りを捧げます。大人と比べて遥かにシンプルなのです。 願いが叶うかどうかが、自分にはわからないことを子どもたちはよくわかっています。
願望実現

可能性の議論をやめる(1/4)|vol.96

「これがしたい」という思いに応えるために生まれるのが願望ですが、願望に対して「できるかできないか」の判断基準を使うと実現が遠のきます。そこで新しい判断基準を「したいかしたくないか」に設定します。現実にできるかできないかではなく、現実にしたいかしたくないかで考えるのです。 そもそも、できるかできないかの判断は自分にはできません。願望が実現するか否かは「わからない」というのが正直なところでしょう。
願望実現

思考の基準を変える(4/4)|vol.95

「それは可能だ」という思考を妄想扱いするなら、「それは不可能だ」という思考が確かである証拠を示してほしいものですが、はっきり言って可能か不可能かという基準には根拠がありません。なんとなくフィーリングでそれを採用しているだけです。 本当は裕福と困窮を判断した最初の基準もフィーリングなのですが、困窮が真実という思考を繰り返していくうちにガチガチに固めてしまったため、フィーリングという一言では崩せなくなっているのです。
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思考の基準を変える(3/4)|vol.94

一見ポジティブに見えて実はネガティブ、これには気を付けなければなりません。エゴはポジティブな振りをしてネガティブな思考を採用しようとすることがよくあるのです。「○○になりたい」は全て「今は○○ではない」の確認作業ともいえます。ポジティブに見えて実はネガティブなのです。 純粋に願える人なら全く問題ないのですが、そこに「どうやって」「どうしたら」という思考が発生する人は、素直に願う方法は適しません。
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思考の基準を変える(2/4)|vol.93

「困窮している」という思考は考えただけで気が滅入る、だからこれからは裕福だと思い込もう。これもまた大きな罠です。僕は「困窮している」という思考は気分がよくないから、その思考は持っている必要がないと言っているだけです。裕福と思い込みなさいとは言っていません。 前話「幸せのグラデーション」の終盤で述べた通り、人生も世界も現実も、存在する全てのものには境界線がありません。グラデーションであり、国境のようにくっきりと裕福と困窮が定まってはいないのです。困窮しているという思考を採用しないならば、裕福と思い込まなければならないというのは、白黒をハッキリつけようとする基準から生まれています。
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思考の基準を変える(1/4)|vol.92

現実か虚実か。可能か不可能か。人は普段そうした基準による判断に慣れ親しんでいますが、その基準はあなたの役には立たちません。判断基準を変更して新しいルールで思考を認識してみましょう。 新しい基準は、あなたの役に立つか立たないか。意味があるかないか。気分がいいか悪いかです。従来の、現実か虚実か、或いは可能か不可能かは問いません。例えば「裕福だ」と「困窮している」という二つの思考が浮かんだとします。このときに気分がいいのはどちらでしょう。
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幸せのグラデーション(4/4)|vol.91

この世を天国とするか地獄とするかは、思考を取捨選択する際の基準が深く関わってきます。あなたはただ苦しくない選択をすべきです。だから、どう転んでも苦しくならない基準で判断するといいのです。 例えば「出来る出来ない」を基準にした場合、「出来ない」にイエスがついたときに自分の能力にケチをつけなければならなくなります。
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幸せのグラデーション(3/4)|vol.90

もしあなたの思考の真偽を公平かつ完璧な第三者が行うなら、正しい真偽を知ることもできるかもしれません。しかしそれは、恐らく神の領域となるでしょう。つまり人間には正確な真偽をジャッジすることはできないということです。 人は普段、フィーリングによってジャッジを下しています。「そうだな」とか「それはないだろう」といった具合です。
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幸せのグラデーション(2/4)|vol.89

メディアで報道されるニュースは複数人の主観が入っているため、ある意味では比較的常識的な解釈と言えるかもしれません。主観が重なっていくということは、複数の違う視点が挟まるということですから、ニュースのチェック機能を果たしているといえます。もしこれが全て一人の視点によるものだったら、ただの個人的な感想です。
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幸せのグラデーション(1/4)|vol.88

現実の全てを過去扱いしてみましょう。現状を嘆く思考が浮かんだときに「前はそうだったな」といったニュアンスの返答をしてみます。そもそも、その思考が浮かんできたのは「既に知っている」から、つまりは過去に起こったことの認識だからです。思考と本当の「今」とはズレがあります。思考が認識した時点で、全てが過去の出来事と思って差し支えありません。 「前は苦しかったな」「あのときは辛かったな」「あの時期は苦労したな」「そんなときもあったな」。あなたが現状と思っているものは既に過去です。