願望実現

新しい自分の定義(4/4)|vol.127

前の自分が作ったシミュレーションを引きずることは往々にして起こりますから、起こったことに対してそれが良いとか悪いとか判断する必要はありません。「こういうことが起こった。これは前の定義の自分が起こしたシミュレーションだ」ということだからです。 あなたが今目にしている現実は、前の自分のシミュレーションです。今のあなたとは関係がありません。あなたは常に最新の状態でここにいます。けれど、見ているものは前のあなたのシミュレーションです。
願望実現

新しい自分の定義(3/4)|vol.126

お金持ちになりたいなら「お金持ちになりたい」と願うことは逆効果なのです。それを叶えようとすることも、大事に握り締めてしまうことも、結局は「お金がない自分」が見るシミュレーションを強化するだけとなります。 願望とは正反対の自分としてシミュレーションしていることに気付くといいのです。「お金持ちになりたい」が願望なら「お金がない自分」という立場でシミュレーションしているということですし、「幸せになりたい」が願望なら「幸せではない自分」という立場でシミュレーションしているということです。
願望実現

新しい自分の定義(2/4)|vol.125

エゴは現実が自作のシミュレーションであることに気付かずに、シミュレーションの結果から「自分は何か」を判断します。先ほどの例では「お金のない自分」です。「お金のない自分」が更にその設定のままシミュレーションの続きを見ることになります。当然またお金に困らされる場面が出てきます。そこでまた「お金がない自分」という認識を強くします。そしてまた「お金がない自分」の立場でシミュレーションの続きを見ます。このループは永遠に終わることがありません。
願望実現

新しい自分の定義(1/4)|vol.124

あなたは「お金がなくて苦しい」と言いながら「お金がない自分」のシミュレーションをやめようとしません。想像するのは、お金がないことによって起こるかもしれないことばかりです。「お金がない立場」を取り続け、その立場からシミュレーションを観察しているのですから、「お金がある立場」を一向に観察できないのは当たり前といえば当たり前でしょう。
願望実現

なすがまま、あるがまま(4/4)|vol.123

あなたがお金持ちになりたいとしたら、あなたに対する支払いは、あなた以外の何者かによって行われます。その支払いの意思をあなたに変えられるでしょうか。支払いの意思は相手側にあり、あなたにあるのではありません。言われてみれば当たり前の話なのですが、あまり深く考えたことはなかったでしょう。
願望実現

なすがまま、あるがまま(3/4)|vol.122

運命や現実はコントロールできない。願望がかなうかどうかはわからない。それが真実だと言われて、あなたはどう感じたでしょうか。先ほど書いた通り、ガッカリしたのではないでしょうか。ここに、あなたに刻まれた観念の一端を見ることができます。 あなたは、自分で現実をコントロールできなければロクなことが起こらないと思っているということです。
願望実現

なすがまま、あるがまま(2/4)|vol.121

もう願望について悩まなくていいのです。あなただけが特別なわけではないし、他の誰かが特別なわけでもありません。お利口さんほど複雑に考えてしまいますが、どこへでも好きなところへ行けばいいのです。人生を遊び、人生を楽しんでください。人生などしかめっ面で深刻に思い悩むようなものではないのです。あなたなら絶対に大丈夫です。
願望実現

なすがまま、あるがまま(1/4)|vol.120

願望を持っているときに「それができるか」「どうすればできるか」「まだ経験したことはない」といった風に可否のオプションを付け加えると話がややこしくなります。願望とは「したいこと」、実現とは「する」ことと解釈すれば、願望実現は単に「したいことをする」です。 願望実現というと壮大な挑戦のように聞こえてしまいますが、シンプルにいえば「したいことをする」だけなのです。
願望実現

人生のコントロールをやめる(4/4)|vol.119

目的地に着けるかどうかがあなたにとって死活問題なのでしょう。あなたはどこかの目的地へ向かっているはずなのですが、その途中の景色は自分の願望とは裏腹な場面ばかりが見えるような気がしないでしょうか。どこへ着くかもわからない状態で不安になる気持ちはわかります。 その道中も何かが実現しているはずなのですが、一体なにが実現しているのかというと自分が「できる」と認識しているものが実現しています。
願望実現

人生のコントロールをやめる(3/4)|vol.118

あなたは本来魔法の絨毯のような車を自分で運転しようとしているし、自分で運転しているつもりになっています。なんとも滑稽ではないでしょうか。あなたは自分が乗っている車を神様が運転しているとしても、自分で運転しようとするでしょうか。もちろんそれもあなたの自由ではあります。