あなたは願望が実現することに興味があるのでしょうか、それとも願望が実現する方法を見つけ出すことに興味があるのでしょうか。経過を重視していては、いつまで経っても結果には辿り着きません。いつまでも経過を追い求めて、いつまでも経過ばかり見せられることになります。結果の想像とは、結果の創造です。結果はそれを想像している間に創造されているのです。
そもそも人生は常に途中経過なのです。その時その時の結果という形が現れますが、それは一時的なものでまた別の形へと変化していきます。あなたが思い描く形になった瞬間、あなたはそれが実現したと判断しますが、次の瞬間にはまた別の形へ向かって経過の状態へと戻っていきます。
現れた結果ですら人生においては途中経過に過ぎません。いわば思い思いに形を変えていく粘土のようなものです。人生は常に形を変えています。願望が実現したと思ったら、また次の実現へと向かっているのです。
あなたは今持っている願望が実現することを人生の一大事のように思っているかもしれません。けれども、それとて人生そのものから見れば一時的な形であり、途中経過に過ぎないのです。人生は幕を閉じるまで常に途中経過です。その時その時のあなたが思う最良の形を形作りながら、また形を変えていきます。
出来事という粘土を好みの形に変えながら人生は進んでいきます。全てがその都度、その瞬間だけの形です。特別な形など存在しません。故に特別な意図、または特別な願望というものもまた存在しません。粘土を丸くする、四角くする、皿形にする、コップ型にする、それだけの話です。
あなたは長らく人生が思い通りにならないと嘆いているかもしれません。それはあなたの望む形に変化していく経過ばかりを見ているからそう感じるのです。さて、子供時代に戻って粘土遊びをするとしましょう。粘土で何かを形造るとき、最初にすることはなんでしょう。
まず粘土を手に取って、頭の中に完成形を思い浮かべます。それをしなければ何も始まらないでしょう。「こうしたい」という意図は、この完成形のイマジネーションです。それがなければ形にできないのです。だから、完成形を思い浮かべてくださいと再三言っています。
粘土がどんな形にでもなるように、現実もどんな形にでもなります。それを「どうすればその形になるだろう?」と言っているのが、方法を考え続けることによってブレーキをかけている状態なのです。ある意味、完成形の想像さえはっきりしていれば、あとはそのイメージに沿って手が勝手に動いて形造ります。実際、粘土細工をするときはそうなっているでしょう。


