何か自分のしたいことを実現するためには、その方法を編み出し、そこへ向けて努力することが早道であるという常識がまかり通っています。なぜそうするかというと、そうしなければ実現が近付かないと思い込んでいるからです。
何もせずに待っていても実現は向こうから近付いてこない、だから何をすればいいかはわからないけれど、とにかく何かをしようとします。それで実現に向けて努力したような気になってしまうのです。冷静に考えてみてください。実現する方法を知りたがるのは実現したいからではありません。実現しない何らかの原因があるから、それを取り除くために方法を模索するのです。つまり、方法を模索しているとき、そこには実現しない原因が付きまとうということになります。これが「方法を想像することはブレーキをかけること」なのです。
実現しない原因があるから方法を模索しているのではなく、方法を模索するから原因が存在してしまうのです。願望を実現するには、実現しない原因を作らないことです。方法を探れば原因が作られ停滞するのですから、結果を想像してあとは何もしない。そうすれば逆に結果に近付くのです。一見、何もしていないように感じて焦りが発生すると思いますが、何もしないときにこそ実現に近付いているのです。
願望を持ったあなたが味わいたいのは結果でしょうか、それとも方法でしょうか。方法を楽しむと言ってもあまり意味が通じないでしょうから言い方を変えましょう。あなたが楽しみたいのは結果でしょうか、それとも経過でしょうか。
結果重視か、経過重視かということなのですが、結果を得るために経過を重視するという考え方もあるでしょう。ところが、結果と経過は全く関連していない別の話です。あなたが思った通りの経過を辿って結果に結びつくことはまずありません。そもそも経過は結果に結び付いていないのです。経過は経過、結果は結果です。
ほとんどの人は結果を想像するより、「これがこうなってこう実現していく」といったような経過を考えることのほうが好きです。なぜならそれが結果を出す、つまりは実現する方法であると信じて疑わないからです。
けれど、端的に言えば経過などどうでもいいのです。どんな経過を辿ろうとも、思い描いた結果になればそれでいいではありませんか。よって、経過については考えてもいいし考えなくても構いません。ベストな選択を熟考してもいいし、しなくても構いません。それ自体は結果に意味を為す行為ではないからです。


