真っ白な壁にポツンと黒い汚れが付いていたら目立つでしょう。人生における不満や不安、そして不幸といった思いはそれに似ています。そこにしか目がいかず、その汚れが気になって仕方ないし、その汚れを落とそうとします。本来の完璧な真っ白い壁を見たいからです。
願望とは、真っ白い壁にポツンと付いた黒い汚れを落とそうとすることです。この黒い汚れは文字通り汚点です。あなたにとって人生の汚点なのです。その汚れが落ちれば人生は完璧さを取り戻すことをあなたは知っています。
あなたの人生は概ね良好だ。唯一、願望について考えているときを除いて。その瞬間だけ、あなたは人生の汚点を見て、人生の不完全さを見ています。逆に言えば、願望について考えていないとき、あなたの人生は完璧です。
「愛が欲しい」なら「愛がない」が前提です。「お金が欲しい」なら「お金がない」が前提です。願望の裏には前提があり、その前提を覆そうとするのが願望といえます。この前提が汚点の正体です。
真っ白な壁がなければ汚点は確認できません。真っ白な壁という背景があるから、汚点という不完全さが目立つのです。真っ白な壁は完璧です。完璧という背景があるから汚点が確認できるのです。汚点の背景には完璧があり、騒音の背景には静寂があります。静けさに鳥の声が響けば鳥の存在を確認できますが、騒音の中では鳥の声はかき消され、鳥の存在は確認できません。欠点を見ることができるのは完璧があるからであり、音を聞くことができるのは静寂があるからなのです。
あなたのベースは完璧であり静寂なのです。そこに汚点や騒音を見聞きするから、どうしてもその部分ばかりが目立ってしまいます。真っ白な壁にポツンと付いた黒い汚れが目立つのと同じです。あなたはその汚れに不完全さを感じます。本来は一点の汚れもない完璧さがあることを知っているからです。汚れを落とし完璧さを取り戻そうとすること。願望はそうして発生します。
森羅万象、背景があるからそれを認識できます。静寂があるから音を感知でき、暗闇があるから光を感知できます。あなたが汚点、即ち自身の欠点を感知できるのは、あなたの背景が完璧だからです。そして、ここにパラドックスが発生します。「完璧だが欠点がある」というのは文脈的にも成立しないでしょう。
完璧という背景があるから欠点を感知できます。しかし、そもそも完璧の背景に欠点は発生しないのです。欠点がないから完璧なのだから当然です。あなたは自身に欠点があるように感じるかもしれませんが、それは「完璧だが欠点もある」と言っているのと同じです。「白いけど黒い」「明るいけど暗い」「静かだけどうるさい」と言っているのと同じで、両立はできないのです。
あなたのベースは完璧なのです。完璧だからこそ欠点を感知できます。しかし、完璧の中に欠点は存在できません。そうなると答えは一つです。あなたは完璧の中に欠点という錯覚を見ているのです。あなたに欠点は存在しません。より正確に言えば、欠点は存在できないのです。なぜならあなたのベースは完璧だからです。これ以上は禅問答のようになってしまうので控えますが、あなたは完璧以外ありえないのです。


