物事に対して判断しないためには、全ての思いに「わからない」と答えてみるという方法を前回お話しました。もう一つの方法は、全ての思いを承認することです。承認、肯定、許可、あなたにとって馴染む方法で構いません。「幸せだ」も承認するし、「不幸だ」も承認します。なぜなら、承認否認が一定しないことによって苦しみが生じるからです。
湧いた思いによって承認否認が違うなど当たり前だと思うかもしれませんが、それが間違いなのです。「幸せだ」を否認したり、逆に「不幸だ」を承認したりするときに苦しみが発生します。これはどのような状況かというと、「承認したいけど否認せざるを得ない」あるいは「否認したいけど承認せざるを得ない」ときなのです。
「そう思った」のは仕方のないことです。それをコントロールする術はありません。苦しいのは、その思いが「認めたくないのに、認めざるを得ない」か「認めたいのに、認めることができない」ときです。
具体例を挙げて説明しましょう。例えば「不幸だ」という思いが湧いたとします。このとき「不幸を認めたくないのに、認めざるを得ない」のは苦しいでしょう。逆に「幸せだ」という思いが湧いたとします。このとき「幸せだと認めたいのに、認めることができない」のは苦しいでしょう。
このように「不本意ながら承認せざるを得ない」「不本意ながら否認せざるを得ない」のが苦しいのです。承認か否認かというのは実はあまり関係がありません。「不本意ながら」なのが苦しいのです。
「不幸だ」を承認するのが苦しいのではなく、不本意ながら承認するのが苦しいのです。「不幸だ」を認めたいという人はあまりいないとは思いますが、不幸を認めること自体よりも本心に沿わないことを認めなければならないことの方が苦しいというわけです。
あなたを苦しめているのは思いに対する承認か否認かではありません。思いに対して、承認か否認かが一定しておらず、その都度フィーリングで決まっていくのが苦しみの原因です。承認か否認かが、その場その場、ケースバイケースで変化する「揺れ」によって苦しみが発生するのです。
この「揺れ」をなくすと苦しみは和らぎます。単純な話、承認か否認かがその都度変わると「揺れ」が起こります。心が揺れ動いたり、現実が揺れ動いたりするのです。その揺れを止めるには、常に承認し続ければいいのです。
中には承認したくない「思い」もあるでしょうが揺れを止めることが先決です。不幸を認めることは怖く感じるかもしれませんが、怖がらずに全てを受け入れていいのです。


