僕らは少しズレたナレーションに翻弄される(1/2)|vol.139

願望実現

現実とはどんなイメージでしょうか。あなたが五感を使って常日頃から観ているもの、それが現実です。本来はシンプルにそうなのですが、本当の意味で現実を観ている人はあまり多くありません。

現実は二つの要素で構成されています。一つは五感で観ている「映像」、もう一つは頭の中で語られる「ナレーション」です。映像とナレーションが組み合わされたものを僕らは現実と捉えています。しかし、実際にはナレーションを現実と誤認していることが極めて多いのです。

日常の中で、映像とは無関係なナレーションが垂れ流される場面は非常に多くあります。お風呂に浸かりながら今日のミスを思い返していたりするし、布団の中で将来への漠然とした不安に思いを駆られることもあります。こうした映像とは無関係なナレーションは、実際のところどうでもいいものなのですが、それを現実と捉えてしまうところに苦しみの原因があります。

映像とナレーションに隔たりがあることに気付くのが最初の一歩です。そしてこの隔たりには時間軸が密接に関わってきます。映像は常に最新です。似たような映像を見たことがある場合もありますが、毎瞬初めて見る映像の連続です。そして、全く同じ映像を見ることは二度とありません。

映像はまさに「今」であり、これより先は存在しないのです。一方ナレーションは必ずタイムラグがあり、大半の場合は映像から大幅に遅れてナレーションが入ります。午前中に見た場面について夕食のときに考えたり、三日前のこと、一週間前のこと、一ヶ月前のこと、果ては一年前のことや数年前の出来事まで、今さら意味づけすることさえあります。

瞬時だろうと、数年前のことだろうと、映像から遅れて判断や解釈が行われることに変わりはありません。つまりナレーションは過去について語っているということなのです。もう一つのナレーションは、未来への予測です。過去についての判断や解釈から、今度はそれを踏まえてこれから何が起こりそうか、そうなったときにどう対処するか、あるいは逆にそれが起こらなかったらどうするかという予測が発生します。

頭の中で勝手に湧き出るナレーションは今のことを語っておらず、過去か未来についてしか語っていません。映像は「今」ですが、ナレーションは時間軸がずれています。そして、僕らが認識している「現在」というのは、頭の中のナレーションが語る過去と未来の中間点のこと、つまりは想像の産物なのです。

タイトルとURLをコピーしました