したいことそれぞれにその都度バラバラな条件が付されるので一貫性がありません。更に厄介なのは、その条件を満たしても「できる」にならない場合があるということです。できる条件が満たされたということは、本来ならできないとおかしいわけですが、それでも実現に至らないことは多々あります。「今度こそ上手くいくと思ったのにどうして?」。そしてまた次の条件を見つけようとします。
さて、「できる条件」の正体を既に語ったことに気付いたでしょうか。先ほどの一連の文章をよく読むとわかるのですが、「それをするためにはこういうものが必要だと考えるわけです」という部分、そして最後の「そしてまた次の条件を見つけようとします」という部分です。
わかったでしょうか。条件というのは「それを満たさなければならないもの」ではありません。自分で考え、自分で見つけ出しているのです。それが何を意味するかというと、条件というのは「自分がそう思っているだけ」であるということなのです。
裁判において、事件の内容によって法律に書いてあること変わるでしょうか。トランプにおいてポーカーのルールはその都度変わるでしょうか。ルールとはそういうことです。一貫性のないルールはルールではありません。したがってコロコロと変化するような条件は、あってないようなものなのです。少々乱暴に言えば、どうでもいい条件なのです。
「できるできない」の判断の根拠となる条件は信じなくて構いません。むしろその条件を疑ってみることです。本当にその条件が満たされたら「できる」のか、逆に本当にその条件を満たさなければ「できない」のか。その条件は本当に正しいのか、そもそも誰が決めたものなのか、条件が満たされれば実現すると言い切れるのか、条件が満たさなければ実現されないと言い切れるのかです。
人生とは結局、この世を去るまでの暇潰しです。何をして暇を潰しても構いません。その人が良いと思った暇潰しでいいのです。絶え間ない思考の波が暇潰しのヒントを与えてくれます。「次はこれで楽しんだらどう?」というわけです。
あなたの琴線に触れるものもあれば、全く興味を示さないものもあるでしょう。どんなに世界的に人気のある趣味やスポーツでも、あなたが興味がないなら無理にする必要はありません。趣味というのはそもそもそういうものです。
見るもの、聞くもの、思い浮かんだもの。あなたには暇潰しのヒントが絶えず送られてきます。そしてあなたは何かに興味を持ちます。「これがしたい」。それが願望の種です。既に語った通り、願望が実現していく段階には三つの判断があります。「したいかしたくないか」「できるかできないか」「するかしないか」。
このうち、真ん中の「できるかできないか」はバイパスできることも既に語りました。本来の願望実現は「したいかしたくないか」「するかしないか」の二段階なのです。この二段階の組み合わせを考えると選択肢は四つしかありません。「したいからする」「したいけどしない」「したくないけどする」「したくないからしない」。実にシンプルな仕組みなのです。


