できないというブレーキ(3/4)|vol.102

願望実現

願望を諦めるとは、ごく簡単に言えば自分には叶えられないことを知ることです。いかなる願望であっても、あなたはその実現に関与していないし、関与できません。繰り返しになりますが、自分が叶えるわけではないのです。

では願望の実現は何に委ねればいいのでしょうか。今までは自分に委ねて頑張っていたことと思いますが、自分が叶えられないとなると自分以外に委ねるしかありません。ならばまず、自分にはどうしようもないことだと認めるのです。それを「運命に翻弄されるしかない」とするか、「自分以外のものに委ねよう」とするかです。

自分以外とは具体的に何に委ねればいいのでしょう。難しく考える必要はありません。自分以外ならなんでもいいのです。いちばんわかりやすく頼りになりそうなのは神様でしょうか。あるいは亡くなったおばあちゃんでもいいし、ご先祖様でも構いません。そのへんの石ころを何でも叶えてくれる「幸運の石」としてもいいし、旅行先で買ったアンモナイトのキーホルダーをご神体としてもいいのです。鰯の頭も信心からとはよく言ったものです。

自分以外となると、範囲は極めて広大です。宇宙から自分を差し引いたものが自分以外ということになるからです。宇宙に委ねる、世界に委ねる、世の中に委ねる、社会に委ねる、天に委ねる。あなたにとって頼りになりそうで素敵だなと思うものに委ねてみることです。

結果が自分の手から離れて、自分以外の手に委ねている状態を願望を諦めると表現しているという解釈で良いです。実際に諦めたのではなく、その結末を委ねる先を変えたのです。願望の結末は自分以外に委ね、自分で叶えることは諦めたと解釈するといいでしょう。

何事も、自分には出来ないと判断するのはやめることです。出来ないと判断するから願望と化すのです。したいことが浮かんだときに、即座に思考が浮かぶはずです。「難しい」「どうやって」「どうすれば」「無理だ」「想像がつかない」。それらは全て出来ないという判断をしたということになります。

したいことが出来る場合は、出来ないという判断はもちろん、出来るという判断も起こりません。水を飲もうとしたときに、いちいち「それが出来る」と判断しないでしょう。意外な盲点なのですが、「出来る」の場合は思考は浮かばず、「出来ない」ときに限って思考が浮かぶのです。

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