願望を持つことがいけないと言っているわけではありません。願望を持つことは構わないのですが、それを叶えるのはあなたではないということを知ってほしいのです。できるできない、可能不可能、なれるなれない。あなたとってその部分はコントロール外の神の領域ですから、神なりサンタクロースなりに丸投げして任せた方がよほど堅実なのです。
願望が浮かんだら、叶えたいか叶えたくないかの意思を表明すればいいのです。願望について考える基準をそこに置きます。願望が実現するかどうかはコントロール外ですから、あなたにはどうすることもできません。努力や意気込みで結果が変わるという代物ではないのです。
あなたはそれが嫌なのでしょう。結果を意のままに操りたいのでしょう。理想の結果に導きたいのでしょう。けれどそれはできません。結果のコントロールは諦めて、自分以外のものに委ねた方がいいのです。できるできない、可能不可能、なれるなれない。そうしたことを自分でコントロールできないと言われると、あなたはどんな気持ちになったでしょうか。
自分にはどうしようもできないと捉えると、決していい気分にはなれないのではないでしょうか。一方、こういう見方もできます。可能か不可能かはあなたが決めることではない。ということは、あなたが今「難しい」とか「無理だ」と言っていることであっても、可能か不可能かはあなたが決めることではないということになります。つまり、勝手に自分の可能性を閉ざしてはならないとも受け取れないでしょうか。
言い方を変えてみましょう。あなたの願望がなぜ願望なのかというと、現状では実現不可能だから願望なのです。現状で可能なら既に叶っているはずだからです。あなたは願望を持っているというより、不可能性を持っていると言った方がいいのです。可能不可能は自分が決めることではないというのは、可能であると決めることはできないが、不可能であると決めることもできないという意味です。
あなたは自分の願望を叶えることが可能だという確信が欲しいのでしょう。「きっとできるよ」と元気付けてあげることはできますが、残念ながら可能だと言い切ることは僕にはできません。もちろん、あなたを含めた他の誰にもできないことです。一方で「絶対に不可能だ」と言い切ることもまたできません。
あなたは願望に対して可能であるという確信を欲しがりますが、そもそも願望は現状では不可能と確信しているから願望のままなのです。不可能という確信がなければ既に実現しているはずです。よって、可能と確信することと、不可能という確信を解くことは結果的には同じことです。


