大人の場合は自分の能力や周囲の状況といったことから実現可能性を算出しようとしますが、子どもたちにとってそんなことはお構いなしです。叶うか叶わないかはさほど重視しておらず、純粋に叶うと信じて祈りを捧げます。大人と比べて遥かにシンプルなのです。
願いが叶うかどうかが、自分にはわからないことを子どもたちはよくわかっています。むしろ大人の方がわかっておらず、「わかりたい」と悪あがきをしてしまうのです。知識や経験といった記憶が積み重なっているおかげで、難易度や実現可能性がなんとなく読めてしまう気がしてしまうのです。
あなたがすべきことは、「できるできない」を度外視してサンタさんにお願いすることです。できる確率やできる方法を考える必要はありません。むしろそれについて考えることは余計な廻り道なのです。必要なのは子どものような純粋さであり、むしろそれしか必要ありません。
願望の実現になぜ自分が関与できないのか。願望とは自分以外、すなわちは自分の世界を理想的な好ましい形に変えたいという願いが大半だからです。しかし自分以外を変えることは難しいのです。難しいというより不可能といった方がいいでしょう。それはあなたも経験上で重々わかっているはずです。
夜空に瞬く星を消したり、ぷかぷかと空に浮かぶ雲を自在に動かすのが不可能であるように、自分以外を変えることができない以上、あなたに願望を叶える力はありません。繰り返しになりますが、願望とは基本的に自分以外を変えようとすることだからです。変わるかどうかは神のみぞ知るといったところでしょうか。
コントロール外のことをコントロールしようとするのは、操作機器を持たずに手ぶらでラジコンカーを意のままに操ろうとするようなものです。思い通りに動かないどころか、一ミリたりとも動かないでしょう。全く動く気配すらないその状況は何かに似ていないでしょうか。そう、あなたの現実です。あなたの現実もこのラジコンカーのように動く気配すらないのではないでしょうか。
あなたは願望は自分次第で叶う確率を上げられたり、叶えることができると思っていないでしょうか。そう思っているのなら、自分が世界をコントロールする操作機器を持っていると錯覚しています。しかし、あなたには世界をコントロールする術はなく、丸腰で世界と向き合っています。
世界はあなたの言うことなんか聞いてくれやしないし、思うがままに振る舞ってはくれません。つまり、現実を変える力はあなたにはないのです。夢や願望は自分が叶えるものだという、極めて重大で基本的な勘違い。ここに気付けるかどうかが願望実現の鍵となります。


