思考の基準を変える(4/4)|vol.95

願望実現

「それは可能だ」という思考を妄想扱いするなら、「それは不可能だ」という思考が確かである証拠を示してほしいものですが、はっきり言って可能か不可能かという基準には根拠がありません。なんとなくフィーリングでそれを採用しているだけです。

本当は裕福と困窮を判断した最初の基準もフィーリングなのですが、困窮が真実という思考を繰り返していくうちにガチガチに固めてしまったため、フィーリングという一言では崩せなくなっているのです。

真実か虚実か、可能か不可能かという基準には共通点があります。本当のところは自分にもわからないという点です。正確にどちらか決めることは本質的に出来ません。絶対と言い切れるほどの根拠がないとも言えるのです。よって、フィーリングに頼るしかない基準なのです。

そこで、根拠を必要とせず尚且つ確かな基準で判断するために基準の変更を行うのです。最も良い基準は、やはり気分がいいか悪いかという基準です。思考の内容はなんでも構いません。気分が悪い思考は徹底して排除し、気分がいい思考はそのまま放っておいて構いません。必要か不必要か、メリットがあるかないかという基準もいいでしょう。

では例を挙げて実践します。引き続きお金を例に挙げますが、「お金がなくて辛い」という思考が浮かんだとします。これを真実か虚実かを基準に判断すると、恐らくイエスと答えてしまいます。だからその基準では判断しないようにします。その困窮から抜け出す思考が浮かんだら、今度は可能か不可能かという基準で判断しそうになります。この場合も恐らくどうすればいいかわからないとなってしまいます。要するに不可能を選んでしまうでしょう。だから、可能か不可能かという基準も使いません。

あなたの基準は気分がいいか悪いかです。「お金がなくて辛い」という思考で気分がいいはずないでしょう。気分が悪い思考は不要です。よってこの「お金がなくて辛い」は無くてもいい思考であるといえます。

思考に対するスタンスは、真偽や可能不可能で判断せず、自分にとって心地いいか、意味があるか、メリットがあるかという基準がいいのです。最も簡単なのは、嫌な気分を感じたら内容に関係なく問答無用で「いらない」と言ってしまうことです。

思考が浮かんだとき、その内容に関係なく「考える必要があるか」「考える意味があるか」を自分に問うてみる癖をつけるといいでしょう。1日に浮かぶ思考のうちのほとんどは無用の長物であることに気付くはずです。

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