認識の木(2/4)|vol.65

願望実現

願望実現の最終的な目的は「それ」に対する認識を変えたいだけ、不快な思考の発生源となっている「そもそもの認識」を変えたいだけなのです。例えばそれは、貧乏という認識からお金持ちという認識へ、嫌われているという認識から愛されているという認識へといったようにです。

あなたの願いはいい現実を見ることです。それが認識を改めるきっかけとなり、文句のつけようのない証拠となって堂々と新しい認識を主張できるからです。これは誰でも一度くらいは経験があるのではないかと思いますが、「嫌な奴だ」と思っていた人がさりげなく親切にしてくれたとき、あなたの中に「なんだ。意外といい奴だな」という認識の変更が起こります。

「嫌な奴だ」という思考が薄れていき、逆に「意外といい奴だ」という思考が増えていきます。あなたが求めているのは、こうしたわかりやすいきっかけとなる映像を見ることなのです。つまりあなたはいい映像を実際に見れば「それ」に対する認識を変えて良いというルールを採用しているということになります。

逆にいうと、いい映像を見るまでは認識を変えてはならないとしているともいえます。先ほどの例で言えば、「親切な態度を見るまで嫌な奴のレッテルを貼り続けるぞ」というわけです。

証拠映像を見てもいないのに認識を変えるのは、あなたにとっては単なる妄想としか思えないのでしょう。まずはあなたがそのことに強く抵抗していることに気付くことです。あなたが無条件に認識を変えることを拒んでいるのは「証拠映像を見るまで認識を変えてはならない」という頑固なルールがあるからです。認識を変えるというのは、あくまでも内部的な変更に過ぎないのですが、外部にその根拠を見つけられないうちはなかなかそれを許しません。なんとも面倒なルールを採用しているものです。

映像を言語化するのが認識であり、認識されると現実となります。ということは、あなたは現実を変えたいというよりその源である認識を変えたいのです。認識が変われば、自ずと現実が変わるのです。ところがあなたは目にしている映像を現実と錯覚しています。その錯覚のおかげで、まず現実を変えてその結果として認識を変えようという真逆の手段を選んでしまいます。

しかし、認識が変わらなければ現実は変わりません。前述の通り、現実とは映像を認識することによって完成形となるからです。ところがあなたはどこかの時点で映像を現実と勘違いしてしまいました。そして、その映像を必死に変えようとしてきたのです。なぜならあなたにとって映像こそ現実であるからです。

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