微細な現実(1/4)|vol.60

願望実現

あなたは五感を使って現実を体験しています。正確には、体験していると思っています。あなたが体験していると思っている現実は、それを体感した時点では単なる映像の段階であり、現実と呼ぶにはまだ何かが足りません。

体感と現実が異なる点はどこにあるのでしょうか。体感は五感で感じますが、そこに思考という六感目が加わると現実となります。五感で体感した映像は、思考で扱うことができる形に変換されるのです。この変換をする時間が必要なため、現実の認識は体感よりやや遅れるということになります。

五感には限界があるでしょう。視力でいえば顕微鏡のように微細なものや、望遠鏡のように遥か遠くのものを肉眼で見ることはできません。聴力も聞こえる周波数の範囲は限られています。これらは五感の限界というより肉体的な限界と言った方がいいかもしれません。

道具を使わずに鳥のように空を飛ぶこともできないし、深海魚のように深く潜ることもできません。五感には限界があり、肉体にも限界があります。そして体感を言語化する能力にも限界があるのです。この限界が、目にしている映像を言語化して現実として扱う際にバグを起こします。

バグといっては語弊があるのですが、思考は体感した全てを余すことなく言語化できているわけではありません。試しに、今あなたの視界に入っているものを見てみましょう。あなたが部屋の中にいるなら、テーブルの上のマグカップや、その向こうにあるテレビ、そのまた向こうの壁に貼られたカレンダーやポスターなどが見えるでしょうか。

部屋の中には、それ以外にもたくさんのものがあるでしょう。それら全てのものを瞬時に把握するのは不可能です。それらの色や形、どこに置かれていて、どのような使い道があり、自分にとってどのような役割か。

部屋の中のものですらその有り様なのに、それが屋外となるともうお手上げです。近影から遠景まで、ありとあらゆるものを瞬時に余すことなく把握し、それらを全て定義付けて認識することはできません。

駅やデパートで、その瞬間に何人の人が視界の中に入っているか、そして何が置かれているかを瞬時に把握することができるでしょうか。映像を言語化するということを厳密にしようとすると、それらを毎瞬毎瞬行わなければならないのです。

何が言いたいのかというと、思考は視界に入っている映像の全てなど把握していないということです。むしろ、大部分をカットして言語化しています。あなたが現実と思っているものはごく狭い範囲、具体的にはあなたの目の届く範囲のものを更に大幅にカットしてピックアップしたものに過ぎないのです。

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