思考を眺めてみよう(3/4)|vol.54

願望実現

あなたの母国語ではなく、全く話せない言語で考えようとしても不可能でしょう。言葉がなかったら悩むことはできないのです。試しにあなたにちょっとユニークな提案をしてみましょう。これからあなたの母国語、或いは話すことのできる言語での思考は無効です。

様々な思いが頭を過りますが、それが理解できるものであれば全て意味のないものとして扱います。その代わり、あなたが話すことのできない言語での思考は有効としましょう。さて、あなたは考えることができるでしょうか。

言語を奪われると、「それ」の名称や「それ」がどんなものかという概念も奪われます。「悲しい」とか「苦しい」とか、そうした感覚を表す言葉もなければ、それがどんなものかを説明する言葉もありません。だからといって悲しくないというわけではないのですが、涙が出たとしても「涙」ということを表せもしなければ、涙がどういう意味を持つものかを他人に説明することができません。

言葉がない世界に概念は存在しないのです。ただ起こることをそのまま味わうだけです。大きな音に体がビクッとなることもあるでしょうが、それが「大きな音がしたからだ」と考えることもなければ、「今の音はなんだろう?」と思うこともありません。言葉の世界にどっぷりと浸かって生きていた僕らには想像しにくい世界です。けれど、それが本来の世界の姿でもあります。

あなたの現状、あなたの現実、あなたの世界について誰かに話してみましょう。あなたの悩みや、その悩みから発生したあなたの願望についても話してみましょう。ただし、話す相手はあなたが話す母国語が全く理解できない外国人です。そして、あなたもその人の言語を全く話すことができません。

さぁ、遠慮なく話してみてください。どうでしょう。あなたは自分の現実のこと、その現実から発生した悩み、そしてその悩みを解消するために叶えたい願望など、頭の中で渦巻いていることを何一つ表現できなくなるでしょう。

このことが何を言わんとしているかというと、あなたは現実というものを言語化しているということです。あなたの世界でどんなことが起こっているか、あなたの身にどんなことが起こっているか、あなたはそれに対してどう感じたか、そうしたことを知らない国の言葉で考えることはできません。

あなたは今目にしているものすら表現することができなくなります。裏を返せば、認識とは言語化のことなのです。現実というものを、話せない言葉で表現することができないように、本来現実というものは表現することができないのです。

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