誰かの信者になることはあまりいいことではありません。いちばん大切なのは自分の考えであり、自分の認識です。自分は自分の信者であるべきで、誰かの言うことを鵜呑みにするとうまくいかないことの方が多いのです。
誰の信者にもなるな、他人の言うことを信じるなというのは、自分で取捨選択をしてくださいということです。他人の言うことを全く信用するなということではなく、その人の考え方を採用するかしないかは自分で選択してくださいということです。
これは「あの人の言うことだから間違いない」という風に、他人の言葉をそのまま受け入れることは危険だという忠告です。言うまでもなく、ここに書いてあることも受け入れる必要は全くありません。受け入れるかどうかは、読み手であるあなたが決めることです。
あなたは思考に振り回されているかもしれませんが、逆に言うとそれらは単に思考が言っているだけともいえます。いくら考えても現実が良化していかないのは、後から後からあなたを不快にさせる思考が次々と浮かんで、次々に信じてしまうからです。考えている限り、問題の原因などいくらでも捏造されていきます。シンプルに言えば、考えるほどうまくいかなくなるのです。
だから瞑想によって思考を止めたり、思考を手放しなさいといわれます。物事や人生がうまくいかない原因は、思考をしてしまうからと言っても過言ではありません。自由気ままに勝手な振る舞いをする思考に振り回されるから何事もうまくいかなくなってしまうのです。
思考とは結局言葉です。人間は言葉を使うから悩みます。もし言葉がなければ悩むこともないでしょう。悩まなくなるというより悩めなくなるというのが正確でしょうか。悩みに限らず、思考というのは言語化されているでしょう。もしも人間が言葉を話せない動物なら、人生は今よりも遥かにシンプルになるのではないでしょうか。
怖い、うまくいかない、絶望だ。全て言葉です。貧しい、苦しい、不幸だ。これも全て言葉です。それらを言葉として表現する術のない動物だとしたら、言葉の持つ意味や概念すらないことになります。言葉があるから考えることができるし、同時に考えることができるから悩むのです。そういった意味では原始的な微生物のような生き物たちの方が遥かにシンプルに幸せに暮らしているのかもしれません。


