あなたは見ているもの全てに色を着けていると同時に、あなた自身にも自分で色を塗っているのは意外に盲点となるところです。あなたのカラーはあなたが決めています。人に対する着色と同じように、様々な色を塗り重ねているので自分というものがよくわからなくなっているかもしれません。ではどうすればいいでしょうか。そう、これもまた無塗装の状態に戻せばいいのです。
あなたはなにかがある度にその対象に色を塗り重ねてきました。自分になにかが起これば新しい色を塗り重ね、そのなにかに関与した人にも新しい色を塗り重ねました。様々な色が複雑に塗り重ねられた結果、芸術的と呼べるような素晴らしいものができたかもしれないし、決して芸術的とは言えない適当な落書きのような代物ができたかもしれません。
なにかがある度に塗り重ねられる色。それは人でもお金でも動物でも虫でも同じことです。それまでかわいいと思っていた犬が、噛みつかれるという出来事が起こった途端に怖いという色が塗られたりします。お金に関して嫌なことが起これば、お金に人を困らせるものという色が塗られます。いい色が塗られることもあるし、嫌な色が塗られることもあるのです。色が混ざりすぎて元の姿がわからないし、どう判断すればいいかも難しくなってしまいます。
「それ」の元の色はもうわからなくなってしまったでしょう。この塗り重ねられた色の正体は全て記憶です。何かが起こり、その都度何らかの判断がされ、その判断が記憶されます。そのときにどのような判断をしたか、或いは認識をしたかという言い方でもいいのですが、それに対して塗られる色はそうして決まったのです。どんな色が塗り重ねられ、結果的にどんな姿になっているかは塗膜の集積によって決まります。この塗膜が記憶なのです。
この塗膜は何かが起こる度に厚くなっていくわけですが、それは直接的な出来事とは限りません。あなたの頭の中に「それ」が思い浮かぶ度に何らかの色が重ねられます。嫌な人のことをふと思い出し、どんどん嫌な方向へ思考が進んでいったなら、その人にはどんどん不快な色が塗られるでしょう。嫌いな人の何もかもが腹立たしくなっていくのは、こうした不快な色が塗り重ねられていくからなのです。不快な色を重ね続けているのだから、およそ美しい作品には見えなくて当然といえます。