個別の出来事に目を向けるのではなく、それそのものに目を向けられるでしょうか。そしてイメージを変えられるでしょうか。お金がないからこうしなければならないとか、お金がないからこうなってしまったという個別の出来事による判断や記憶に目を向けるのではなく、それを引き起こしたとされるお金そのものに目を向けられるかどうかです。あなたにとって、お金そのものはどういったものでしょうか。
お金がないから借金しなければならないとか、お金がないから生活が苦しいといった個別の出来事ではなく、お金そのものに目を向けていきます。それらを引き起こしたとされ、イメージの良くないお金というものに対して、その嫌なイメージを払拭できるかどうかです。
お金がないからどう、お金さえあればどうというイメージから抜け出して、お金そのものに目を向けます。そうすると、お金そのものは理性も感情もないことは理解できるでしょう。お金に悪意はないのです。お金が悪魔のように感じるのなら、あなたがお金という魔物を内側で創り上げているということです。
人の場合も同様にその人によって引き起こされた出来事に目を向けるのではなく、その人そのものに目を向けます。さて、改めてやってみましょう。お金あるいはその人に対する嫌なイメージは手放すことができるでしょうか。
お金或いはその人によって引き起こされた出来事に着目するとイメージを変えることは難しいのです。その出来事の印象が悪ければ、その出来事の「主犯」であるお金なり人物なりも嫌なイメージが付きまとうからです。
そこで、出来事と「それ」そのものをあえて分けるのです。「それ」が引き起こしたとされる出来事ではなく、「それ」自体に着目するのです。信じ難いかもしれませんが、実はあなたは「それ」自体が嫌いなのではありません。「それ」によって引き起こされた出来事が嫌いなのです。「それ」自体が嫌いなのではなく、「それ」の振る舞いが嫌いなのです。
「それ」自体は憎むような対象ではないのですが、「それ」がどのように振る舞うかで「それ」が好きにも嫌いにもなるのです。あなたはお金やその人に嫌なイメージを持っているのではありません。お金によって起こった出来事や、その人によって起こった出来事に嫌なイメージを持っているのです。