外部の変化が起こってからでなければ内部の変化は起こらないのでしょうか。それとも内部の変化は外部の状況と関係なく起こすことが可能なのでしょうか。実は、外部が変化しなければ納得して内部を変化させられないという前提があるのは少々問題です。なぜなら、外部の変化の終了後に内部の変化が起こるなら、願望は叶わなければならない死活問題となるからです。
非常に簡単な問いなのですが、外部が変化しなければ内部を変化させてはいけないのはなぜでしょう。見ている映像が良好にならなければ、いい気分になってはいけないのはなぜなのでしょうか。
外部は変化していないのに内部だけ気分が良くなることは本当に意味のないことなのでしょうか。そもそも問題が解決するというのは「そのこと」を思い浮かべたときに嫌な気分が起きないことを言うのではなかったのでしょうか。
あなたの悩みには原因があるでしょう。それは、あなたが見聞きした外部の出来事がきっかけです。そしてその出来事やそれに関与した人物のことを思い出す度に、あなたは嫌な気分になってしまうでしょう。毎回同じようなリアクションを繰り返すうちに、その出来事はあなたにとって悩みとなってしまったのです。
関与した人物のことは嫌いになるでしょうし、対象がお金の場合はお金にいい印象を持てなくなるのも無理はありません。しかし、改めて冷静に見てください。あなたは思い出す度に嫌な気分になっていますが、逆に言えば今起こっていることはそれだけともいえます。
リアルタイムで目撃しているわけでもないのに、ご飯を食べながらでも、お風呂に入りながらでも「そのこと」を思い出しては嫌な気分になります。実際に起こっていることは何でしょう?あなたはご飯を食べているし、お風呂に入っているだけで、「そのこと」が起こっているわけではないのです。つまり、悩みとは頭の中だけで起こっている内部的な現象ということになります。
単に「そのこと」を思い浮かべたときに嫌な気分にならなければ解決したことと同じなのですが、それではあなたは納得しないでしょう。頭の中だけ満足しても空しいという思いが出てしまいます。嫌な気分が起きない根拠となるような出来事を見聞きしなければ、悩みが解決したとはなかなか認められないというわけです。
その対象が特定の人物であれば、その人物が謝罪したり、あなたに好ましい振る舞いをしたり、金であれば、困らせるようなことが起こらなかったり、幸運の事象が起こったり、そうしたことを目撃しない限り納得してやらないというあなたの決意がそこにあります。そうした証拠が見たいから願望を叶えたいとも言えます。