空想に色を塗る(1/4)|vol.36

願望実現

部屋の窓から表の通りを見ていると、そこに人が歩いていました。さて、それは事実でしょうか、現実でしょうか。もちろん事実であり現実です。ではなぜその事実があったのでしょう。

「そこに人が歩いていたから」。確かにそうなのですが、事実が事実として認定されるには一つの要素があります。当たり前のことですが、あなたがそれを事実と認識することです。もしあなたが事実と認識しなければ人が歩いていたことにはなりません。

あなたが別のものを注視していた、或いは何か考え事をしながらぼんやりと通りを眺めていたとしましょう。確かに人は歩いていたのですが、目に入っていないし印象に残ってもいません。「人が歩いていたような気がする」とか「人?歩いてたっけ?」という状態です。こうなると人が歩いていた事実や現実といったものはかき消されます。実際に人が歩いていたにも関わらず、その事実や現実は途端に不確かなものとなるのです。

そう考えると現実というのはなんといい加減なものなのでしょう。あなたが認識するかどうかでハッキリとした現実となったり、不確かなことになったりするのです。事実や現実は、単にあなたの認識にかかっているといえます。

人が歩いていたのは事実なのでしょうか。違います。あなたが「人が歩いている事実」を認識したから、その人はそこを歩いていたのです。現実は全てあなたの認識によって成立しています。逆に言えば、あなたがそれを事実と認識すればそれが何であれ事実となります。たとえ突拍子のないことに思えても、あなたがそう認識したなら誰がなんと言おうと事実なのです。

例えば、あなたがお金に困っているとしましょう。あなたは貧乏なのでしょうか。そう、あなたは貧乏なのでしょう。正確には貧乏と認識しているから、それが現実となっているのです。では、全く逆の認識をしたらどうなるでしょうか。

勝手に浮かんでくる思考のうち、どの思考を掴むか。その瞬間に掴んだ思考が、その瞬間の現実です。前話からそうした主旨で語ってきました。これ以上、細分化しても言葉遊びになってしまい本質を捉えられなくなるので、この話をシンプルにしていきましょう。

人が歩いているというのは思考でもあり認識でもあります。歩いている人を見た瞬間にその存在を認めることが認識です。続いて「人が歩いている」という思考が発生します。その存在を認めることが認識、認識したその存在がどのような意味を持つかを語っているのが思考ということになります。

認識の時点では人は人ではありません。何かを視界に捉えただけです。それが「人」であり「歩いている」というのは思考の仕事ということになります。そうして細分化してしまうとまた話が複雑になってしまいますので、認識と思考はひとまとめにして構いません。「人が歩いていることを認識した」としておきましょう。

思考は勝手に浮かんでくると話しましたが、厳密に言えば先に認識が浮かんでいます。認識すれば現実なのですから、正確には現実が浮かんでいるのです。それがどんな現実かは、その後に出てくる思考に左右されます。

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