優先すべきは思考か感情か(4/4)|vol.35

願望実現

不快な思考をどうにかしようとしなくていいのです。夢や願望というのは結局、不快な思考をしないように不快の種となっているものを取り除こうとすることです。この場合、それが叶えば不快の種は取り除かれますが、叶わなかった場合には不快の種がいつまでも残ることになります。

不快な思考の内容に囚われるとそうなってしまうのです。だから、不快な思考は内容を吟味せず、その思考が浮かんだときの気持ちにだけ着目するのです。

そもそも僕らは現実を認識しているのではなく、認識が現実そのものなのです。現実を見て思考しているのでもなければ、思考が現実を創っているのでもありません。思考と現実はイコールのものです。

何かの思考を掴んだ瞬間、それは現実を認識した瞬間でもあります。現実となるのではなく、その瞬間が現実そのものなのです。何の思考を掴んだにしても、それがそのまま現実です。

生まれて初めての真新しい瞬間に、真新しい自分として存在する。何ら不思議なことではありません。現実は全て、真新しい瞬間にその都度、その瞬間に出来上がります。瞬間ごとの現実の生成です。

人生とは結局それの繰り返しなのです。連綿と続く瞬間ごとの現実の生成、そして生成された現実の記憶。それが人生の正体です。あなたが今体験するこの瞬間は、これまで一度も体験したことのない瞬間です。

常に新しい瞬間を体験しているのですから、常に新しい自分であっても何ら不思議はありません。常に新しい瞬間に新しい自分として在ればいいのです。これまでに前例がないとか、体験したことがないということなど何の関係があるというのでしょう。

どんな自分であるかはあなたが決めればいいのです。あなたがその自分であることを誰も否定できません。真新しい瞬間に真新しい自分がいることに何の疑問があるというのでしょう。考えれば考えるほど当たり前のことを言っているに過ぎないのです。

過去の記憶に引き摺られて、あなたが思う「今の自分」に甘んじている必要はないのです。ランダムに浮かぶ思考のうちのどれかを掴むまで、現実は確定していません。なにも起こっていないのです。何かの思考を掴むと同時にその現実が確定するということです。

あなたはいつまで同じような自分を掴んで握り締めるのでしょう。そこに何のメリットがあるのでしょう。自分を変えるとか、新しい自分を見付けるなどということは、そんなに気負わなくとも普段から常に行われていることなのです。

逆に、なぜ自分は変化していないと思い込んでいるのでしょう。新しい瞬間には新しい自分がいることをなぜ認めようとしないのでしょうか。いつまでも自分は変わっていないという方がナンセンスなのです。

タイトルとURLをコピーしました