優先すべきは思考か感情か(1/4)|vol.32

願望実現

ある嫌な考えを支持し続けて良い方向に向かった試しなどこれまでにあったでしょうか。嫌な考えを持ち続けている間は、気が滅入ったり怒りが沸いてきたりするだけではないでしょうか。

そんな「考えるだけ無駄」なことというのは、日々の思考の中でいくらでも湧いてきます。そのことについて考えると嫌な気分になるのなら、それは全て考えるだけ無駄なことばかりです。不快な考えをつい掴んでしまったときには「考えるだけ無駄だから、そのことについては考えない」とキッパリ言い切るといいのです。

嘆きや怒りはその場にあなたを留まらせるだけで、新しい場所へは連れていってくれません。不平不満には、あなたの世界を嫌な場所にする以外には何の力もないのです。自分に問うてみてください。「この考えは自分にとってどんな得があるんだろう」と。掴んだその思考が、利なのか害なのかを問い質してみるのです。

虫を益虫、害虫と区別することがあるでしょう。動物を益獣、害獣と区別することもあります。無論、虫も動物も人に益を与えようとか、害を与えてやろうと考えて生きているわけではありません。

これらは人間側の解釈であって、虫も動物も存在自体が益なわけでも害なわけでもないのはわかるでしょう。ゴミを荒らすからカラスは害だと言われても、当のカラスは生きるために当たり前のことをしているまでです。人間とはなんともご都合主義なものです。

その考えはあなたにとって益か害か。思考に対する判断はそれだけでいいのです。思考もまた虫や動物と同様、本来それ自体は益でも害でもなくただ存在しているだけです。あなたが益だと認識すれば益だし、害だと認識すれば害となります。

その思考が益か害かの区別は容易につけることができます。思い浮かんだ思考によってあなたの気分が良くなれば益だし、逆に気分が悪ければ害です。良い出来事、悪い出来事というのがあるでしょう。究極的に言えば、良いか悪いかの判断はただの考えでしかありません。益虫、害虫がいるように、益思考と害思考があるようなものです。

思考は虫と同じです。どこからともなく湧いてきて、その存在自体は益でも害でもなく、ただ存在しているのです。益のレッテルを貼るか、害のレッテルを貼るかによって良い出来事と悪い出来事が完成していきます。

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