現実とは陽炎のようなものです。ゆらゆらと揺らめいていて実体はなく、触れることも出来ません。けれど、その陽炎が固体となる瞬間があります。何かの考えをパッと掴まえた瞬間です。その一瞬だけ、幻のような陽炎が実体を成すのです。
今日一日のことを振り返ってみてください。今日はどんなことがあったでしょう。一日のうちの大半の時間をあなたはロクに覚えていません。これは、意図的に実体とした瞬間があまりないからなのです。印象に残っているシーンというのは「こうだ」とハッキリ認識した瞬間です。一日のうちのハイライトはそうして出来上がっているのです。
一日、あるいは一週間、さらには一年を振り返ってみてください。どんなことがあったでしょう。昨日の記憶ですら曖昧なのに、この一年で記憶に残っていることは、一年という時間から比較するとごく微量ではないでしょうか。
逆に言えば、この一年間のうちでハッキリと印象に残っているシーン以外は、陽炎のように揺らめいているのです。一年365日、8,760時間もの時間を過ごしてきたはずなのに、記憶に残っているのは細切れになったものの数秒か数分のシーンだけではないでしょうか。一年間の大部分は記憶に残らないままどこかへと消えていっているのです。
記憶に残っているシーンには共通点があります。それは、強い感情を伴う出来事であったということです。印象的な景色を見たことや、感動的な優しさに触れたこと。逆に、強い怒りを感じたり、強い悲しみを感じたこと。そのシーンが記憶に残るかどうかは、感情の強弱に左右されています。
印象に残るという言い方をしますが、強い感情を伴ったことは印象に残りやすいのです。ここ一年の記憶を辿っていくと、日常の大半は印象に残っていないでしょう。印象に残っている部分以外を思い出そうとしてもなかなか難しいはずです。
印象に残っていない時間には何があったのでしょう。印象にも記憶にも残っていないのなら何もなかったも同然です。あなたは確かに生きていたはずなのですが、特になにもなかった平凡な日々としか言いようがないでしょう。
良い感情や悪い感情を伴うと、それは印象に残ります。良い感情とは、愛情と考えて良いです。何気ない一日の出来事のうち、何に愛情を与えるか、何に嫌な感情を感じるか。その選択だけでも印象に残る出来事は変化します。もし、あなたの願望に愛情を与えたらどうなるか。それは印象に残る出来事として記憶に刻まれていくでしょう。