自分は人気がないとか、好かれていないとか、お金がないとか、ここがダメだとか、不幸だとか、満たされていないとか、そう言っているのは誰なのでしょう。そういった考えが浮かぶこと自体は仕方ありません。なぜなら、どんな思考が浮かぶかは自分では選べないからです。
あの人にこう言われたからそうに違いない、こんなことが起きたのをこの目で見た、だからそうに決まっている。それもまた、ただの考えに過ぎません。自分が絶対の真実だと確信していることですら単なる考えなのです。
その証拠に、自分が確信していることを他人に伝えるときに「私はそう思っている」とか「私はそう信じている」と付け加えるときがあるでしょう。ほら、文字通り「思っている」「信じている」だけなのです。
あなたが見ている世界は、あなたが信じているものが具現化されたものです。あの人も言っていたから間違いないとか、この目で見たから間違いないと言っても、結局は最後の「だから間違いない」という考えをあなたが支持しているだけです。
良いことが起きた、悪いことが起きたという自分の中の分類も、結局は周囲のリアクションや振る舞いを見て「こう感じる人が多いらしい」ということから判断した考えに過ぎません。
あなたの目の前に映像があります。それをあなたは見聞きします。それはあなたが目撃したことかもしれないし、他人が話しているのを聞いたことかもしれません。それに対して、あなたに何らかの考えが浮かびます。
あなたはその考えに「その通りだ」と言ったり、「それは違う」と言ったりするでしょう。どんな考えにイエスとしてもノーとしても、絶対に間違えることはありません。なぜならどちらを選んだにせよ、あなたが決めた瞬間にそれはあなたの中では真実として扱われるからです。
あれはああいうもの、これはこういうもの、ああしたらああなる、こうしたらこうなる。何を肯定しても否定しても正解です。ここはあなたの世界なのですから、あなたにとっての正解でいいのです。
このような文章を読んでいるということは、どうもあなたは外からの影響を受け過ぎたようです。外の世界に正解はありません。あなたが自分の中で正解と決めたことが常に正解なのです。正解はあなたの中にしかありませんから、あなただけの正解を見つけてください。見つけてくださいというより、あなただけの正解を決めてください。