あなたが他人に対して持っているイメージは推測に過ぎません。後になって「こんな人だとは思わなかった」とか「意外な一面を見た」というようにイメージが覆されることがありますが、それこそ推測が的外れであることの証拠です。他人に対する推測は当てにはならないことの方が多いのです。
推測しているのは思考なわけですが、推測が当てにならないということは、思考は当てにならないということです。しかし、僕らは普段自分の思考を精査することはほとんどありません。大半の場合は、疑うことなく思考は採用されていきます。
ほとんどの人が自分が思考していると信じています。もっと言えば、自分というのはこの「考えている私」のことであり、自分と思考はイコールで結ばれているのです。それ故「自分が言うのだから間違いない」とばかりに、思考は無条件に採用され続けるのですが、実は思考というのはあなたが考えているわけではありません。
思考はランダムに現れては消えていく風のようなものです。ときに心地よいそよ風であり、ときに荒れ狂う暴風となります。どんな思考が浮かぶかをあなたは選ぶことができません。あなたが目を覚ましている間、脈絡なく数えきれない思考が浮かんでは消えていきます。
人は、あたかも自分が考えているように錯覚していますが、思考そのものはあなたがしているわけではなく、単に浮かんでくるだけです。朝の目覚めのまどろみの中で、その日最初の思考が浮かびますが、あなたは「まずこのことから考えよう」と思考をスタートさせているわけではないでしょう。朝いちばんの思考はあなたの意思とは関係なく勝手に浮かんでいるのです。
不思議なことに聞こえるかもしれませんが、あなたの頭に浮かぶ思考は選択の余地がないのです。朝いちばんの思考が勝手に浮かぶのと同じように、放っておいても思考は勝手に浮かんでいるのです。あなたは思考しているというより、思考をキャッチしているのです。
「私の思考」「自分が考えている」というのは、あくまでもあなたの印象です。自分が自発的に考えているわけではなく、浮かんでくるものを受動的に見ているという方が真実に近いのです。よって、あなたは考える者ではなく見ている者です。思考しているのではなく、思考を見ているのです。