他人に対する働きかけは外部へのアプローチとなるわけですが、相手と思っているものは鏡像です。そこに実体はありません。鏡像の世界は幻の世界です。幻の世界に身を置いて、幻に向かって奮闘する。幻は変化するかもしれないし、しないかもしれません。なぜなら、鏡像という幻を変化させる鍵は実体にあるからです。
現実を変化させたいのなら、自分が現実を変化させようとするのではなく、変化した自分を鏡像に映し出せばいいのです。リンゴを鏡に映したければリンゴを置けばいいし、ブドウを鏡に映したければブドウを置けばいいわけです。
幸せになりたい。もちろん間違いではありません。けれど、多くの人が自分の努力によって自分の世界を、自分の人生を良いものにしようと毎日頑張っているでしょう。それが違うのです。あなたが人生を良いものにするのではありません。良い人生、あるいは良い現実、ピンと来なければ良い世界でも構いません。そこにあなたを登場させます。
あなたがいる世界はクロマキー合成のようなものです。先にグリーンの背景で映像を撮っておいて、後から好きな映像を合成するあれです。あなたの背景にはなんの色も着いていないか、あるいは緑一色です。そこに「現実」という名の映像が合成されているに過ぎません。
あなたには悩みがあるのでしょう。あなたの目には「こんな世界」が展開しているように見えるのでしょう。そうでなければこのような文章を一語一句丁寧に読み進めたりはしないでしょう。
他の人の目には、この世界はどのように映っているのでしょうか。パラダイスに見える人もいるでしょうし、あなたと同じように「こんな世界」に辟易している人もいることでしょう。けれど、そんなことはどうでもいいのです。見ている当人がどう感じているかだけが大事です。
「夢を叶えるのは困難だ」とすれば、夢を叶えるのが困難な自分が世界に置かれます。「奇跡は起こらないだろう」とすれば、奇跡が起こらない自分が世界に置かれます。そんなシンプルな話です。世界があなたに影響を与えるのか、あなたが世界に影響を与えるのかです。世界に翻弄されるのか、世界を創造するのかなのです。
大袈裟なことを言っていると思うでしょう。世界を創造するなどという大それたことを自分がしているなど信じられないのが普通です。けれど、世界はあなたを映し出している鏡像なのですから、目の前に広がっている光景はあなた自身なのです。あなたがどんな自分になるかによって、鏡像は変わらざるを得なくなります。