世界の実体はどこにあるんだろう?(3/4)|vol.10

願望実現
  1. 鏡に映るリンゴをブドウに変えるとすればどうすればいいでしょう。鏡に映っているのは鏡像であることはわかるでしょう。鏡にアプローチしたところでそこに実体はありません。鏡像の元となっている実体の方を変化させなければ鏡像は変わらないのです。けれど、僕らはその間違いを延々と繰り返しています。

仮に自分を実体。世界を鏡像としましょう。実際、この世界はそのような仕組みになっています。僕らは外の世界を見て、それを自分好みに変化させようとします。より日常生活に近い表現をするならば、自分以外の方を変化させようとするのです。

他人に関心をもってもらおうとしたり、他人に自分を称賛するように仕向けようとします。しかし、これは鏡像の方を変化させようとしていることになるので不可能なことなのです。

鏡像を変化させるには実体の方、つまりは自分の方を変化させれば良いのです。自分以外というのは、自分を正確に反映する鏡なのですから、自分が変化すれば当然鏡像の側も変化します。鏡像の側が変化するということは、あなたの世界が変化するということです。

もっと言えば、あなたが変わったのに世界の側が変わらないということはあり得ないことになります。リンゴをブドウに取り替えたのに、鏡には依然としてリンゴが映っているということがあり得ないのと同じです。もし人に愛されないと嘆いているのなら、愛される自分と取り換えればいいという単純な話なのですが、ここで素朴な疑問が生じます。「どうやって?」です。

無責任に聞こえるかもしれませんが、取り換える方法はありません。強いて言えば、リンゴをどこかにやって、代わりにブドウを置くという単純な作業です。リンゴがあります。これは実体であり触れることができます。そのリンゴの前に鏡を置くと、当然鏡にはそのリンゴが映ります。これは鏡像としてのリンゴです。

鏡像であるので触れることはできません。そのリンゴに触れようとすれば指先が鏡にコツンと触れることになるでしょう。実体としてのリンゴと鏡像としてのリンゴ。二つのリンゴが存在することになります。

これをあなたが見ている現実に置き換えてみましょう。リンゴは自分で鏡は自分以外です。ここでは、この鏡を他人と定義しておきます。実際にはこの世界全てがあなたを映す鏡なのですが、あなたがその映りを気にするのは他人であることが多いからです。実際「他人の目に私はどう映っているのか」がいちばん気になるでしょう。

あなたは他人という鏡を通して、自分の鏡像を見ようとします。自分とはどういうものか、どんなポジションにあり、どのような状況なのか。あなたが常日頃目にしているのは、鏡に映った鏡像の自分です。直接自分を見ているわけではなく、他人という鏡をヒントに自分がどんな立場に在るかを推測しているに過ぎないのです。その鏡像にどのような印象を持ったか、それが現実というものに対する解釈となります。

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