鏡の前にリンゴを置けば映るのはリンゴです。それ以外ありません。リンゴを置いたのにブドウが映ることはないのです。人はAがいいのにBのままだと嘆きます。AとBにはあなたの理想と現実を入れるといいでしょう。
幸せになりたいのに不幸なままだ、お金持ちになりたいのに貧乏なままだ、愛されたいのに好かれないままだ、といった具合です。これでは「リンゴだけどブドウとして鏡に映りたい」と言っているようなものです。そんなことはできません。自分は貧乏であるのに、鏡に映った自分はお金持ちということはあり得ないのです。
仮にあなたがリンゴだとしましょう。イメージしにくいかもしれませんが例え話なので許してください。リンゴであるあなたが鏡を見ます。そこには何が映るでしょう?リンゴです。どこからどう見てもリンゴはリンゴです。ところがあなたはブドウとして映りたいと主張します。そんなことが可能でしょうか?
それはできません。どれだけブドウになりたいと願ったところでリンゴはリンゴのままです。強いて言えばブドウになりたいリンゴが映っていると言うべきでしょうか。いま鏡にリンゴが映っていて、それをブドウに変えたければ、リンゴをブドウに置き変えればいいのです。それぐらい単純な話なのです。
そして、それ以外に方法はありません。リンゴはリンゴで、ブドウはブドウです。お金持ちはお金持ちで、貧乏は貧乏です。決して違うものが映ることはありません。この世界は、これ以上ない正確さで「どんな自分であるか」を映し出しています。リンゴかブドウか、ただそれだけの違いです。
この世界は厳しい場所でも、苦しい場所でも、意地悪な場所でもありません。単にどんな自分としてここに在るかを正確に反映しているに過ぎないのです。あなたの目の前に広がっているのはなんでしょう?それは現実ではありません。自分以外が織り成す世界でもありません。
あなたの目の前に広がっているのは、自分を鏡に映した結果です。あなたは自分以外のもの、つまりは世界を見ているのではなく、自分自身の鏡像を見ているのです。