世界の実体はどこにあるんだろう?(1/4)|vol.8

願望実現

人は「自分」を知るために「自分以外」という鏡を使います。他人から返ってくる反応は、鏡に例えれば反射です。この反射が「自分」という像を結んでいます。人となりについて語るときに、人物像や自分像という言葉を使うでしょう。まさに「自分」とは「自分以外のもの」によって映し出された像なのです。

朝、鏡を見てやけにハンサムに見えたり可愛らしく見えることはないでしょうか。逆にやけにイマイチに映ることもあるでしょう。整形やアクシデントでもない限り、昨日と今日で顔が大幅に違うということは考えにくいわけですから、結局は主観がそう感じているだけなのですが、不思議なもので当の本人にはそれが現実に見えています。

他人の評価、つまり他人の目に自分がどう映っているかは「自分は何か」を知るための手掛かりとなります。そして、それをなるべく良く映るようにするにはどうすればいいだろうと多くの人が苦心します。

他人によく思われたいという気持ちは誰にでもありますが、これは単に承認欲求を満たすためではありません。他人という鏡を見たときに、自分がイケメンや美人に見えるように鏡を磨いておきたいからなのです。

間接的かつ各々の主観が入り込む以上、他人の評価は安定しないのですが、自分を映す鏡の役割を果たしているので無視するわけにもいきません。では、他人からの評価が上がるとどうなるでしょうか?他人の評価は自分を映す鏡ですから、自分が見映えして見えるようになるのです。大半の人は褒められることが好きでしょう。それは、褒められるという素敵な反射によって自分が良く見えるからなのです。

人は自分は何者か、どんな存在で、どんなポジションにあるのか。それらを他人からの反射で把握しています。愛情をかけられると安心するのは、それが最も高い評価だからです。あなたが誰かに愛されているとき「愛されている私」が存在します。これは言うまでもなく高評価です。逆に失恋したときは「愛されなかった私」が存在することになります。途端に自分の評価はがた落ちとなるでしょう。失恋で落ち込むのは、自分の評価が落ちてしまったと感じるからなのです。

そのように、人は他人によって自分の存在を把握しています。他人の行動や言動、表情や振る舞いといった反射によって「自分は何か」を見ています。しかし、最終的には自分が感じることが最も大切なのです。

相手がどう思っているか、つまりは他人からどんな反射が返っているのかが問題なのではありません。その鏡に反射された自分の姿を、自分がどう思っているかなのです。鏡を見て「今日はイケてる」と感じるのも「今日はイマイチ」と感じるのもあなた次第です。

あなた自身がどんな像を見たいかなのです。ここは鏡の世界です。自分が決めた自分像が映っています。自分が決めた「自分」というキャラクターが現実に反映されていると言った方がいいでしょうか。自分とはあくまでも鏡に映った像に過ぎないのです。

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