人生において、あなたは今どのような状況に置かれているでしょう。あなたは幸せな状況に置かれていると感じているでしょうか。それとも不幸な状況に置かれていると感じているでしょうか。もしその「自分の状況」あるいは「私の現実」と認識しているものが、あなたの勘違いによって「おかしな現実」を見せられているとしたらどうでしょう。
あなたが普段「自分の状況」と認識しているものは、実際には「自分の周囲の状況」、つまりは「自分以外の状況」です。ルビンの壺という有名な絵を、あなたも一度は目にしたことがあると思います。ルビンの壺は、白い背景に壷とされているものが描かれていますが、着色部分に焦点を合わせると壺を認識し、背景に焦点を合わせると向かい合った人の顔に見えるという一種のだまし絵です。対象物と背景のどちらに着目するかで、全く違った意味を持つ絵となるわけですが、これをあなたの現実に置き換えて考えてみましょう。
あなたが写った写真を一枚用意してください。どのような状況下で撮られた写真かは問いません。その写真には、「自分以外」を背景にして、「自分」が写っているでしょう。では、自分と自分以外の境界線をペンでなぞってみましょう。その境界線はちょうどあなたという人物に沿って、人型に描かれるはずです。
ここでルビンの壺と同じことが起こっています。自分に焦点を当てれば、あなたは肉体を持った人間です。一方、自分の状況はどうでしょうか。写真の中のあなたはどのような状況下にあるでしょう。自然の中でしょうか、パーティーの最中でしょうか、乗り物の中でしょうか。そうした状況は自分以外のものによって彩られた背景によって判断することになります。あなたがどのような状況に置かれているかは、自分以外のものによって説明することができるということになります。
自分に焦点を当てれば「私」という人間を認識し、背景に焦点を当てれば私の「状況」を認識するというわけです。ルビンの壺と同じように、どこに焦点を当てるかによって認識するものが変化します。試しに、その写真を先ほど引いた境界線に沿って切り抜いてみます。そうすると二つのパーツに分かれるでしょう。あなたという人型と、一部が人型に切り抜かれた背景です。
では、あなたという人型の切り抜きを白紙の上に置いてみるとしましょう。さて、あなたはどのような状況にあるでしょうか。自然の中でしょうか、パーティーの最中でしょうか、乗り物の中でしょうか。その状況を判断しようにも、背景が白紙だと何の情報もないでしょう。あなたがどのような状況に置かれているのかが途端にわからなくなります。自分の状況とは、自分以外の状況である。というのがよくわかるのではないでしょうか。自分がどのような現実を味わうかは、自分以外のものの動向によって左右されているのです。
では、背景の方に目を移してみましょう。一部が人型に切り抜かれた写真です。これは誰の、あるいは何の現実でしょうか。写真の一部に人型の切り抜きがあるので、誰かはわかりませんが人間の現実ではあるようです。しかし、その人物が誰なのかまでは特定できません。恐らく人間と思われる何らかの現実であろうというのがその写真を見た判断となります。自分と自分以外、どちらが欠けても「私の現実」は成立しないのです。自分以外という背景がなければ状況を判断できませんし、自分がいなければただの風景写真となり、誰の現実でもなくなってしまいます。