理想と現実のギャップ(4/4)|vol.4

願望実現

最も深いネガティブな感情は「夢も希望もない」状態ではないでしょうか。文字通り望みが絶たれた絶望の状態です。この状態に陥ると、頭の中に死がちらつき始めてしまいそうです。けれど、ちょっと待ってください。そもそも夢や希望というのはどのような性質のものだったでしょうか。

夢や希望というのは、理想と現実のギャップを埋めようとすることです。「夢も希望もない」と言っているのですから、理想と現実のギャップを埋めることを諦めてしまったのでしょう。ここで問題なのは、この絶望は「理想と現実にギャップがあるから」生まれたのか、それとも「ギャップを埋める方法がわからないから」生まれたのかということです。

こう考えてみてください。もしも理想と現実のギャップを埋める方法を知っている、つまりは夢や希望の叶え方を知っているとしたら、それでも絶望を味わうでしょうか。答えはノーです。理想と現実をフラットにする方法がわかっているのなら、それはもう人生の課題でも問題でもなくなるでしょう。現実を理想通りにすることができるのですから、もう悩む必要などありません。

公式や解き方が全くわからない数学の問題に対して、黒板の前でいくら考え込んだところで解は浮かび上がってこないでしょう。逆に公式や解き方がわかっているのなら、むしろ解くことを楽しいと感じるかもしれません。夢や希望をなくしてしまった状態は「理想と現実のギャップを埋めよ」という問題に対し、解き方がわからず見当もつかないため、黒板の前で為す術なく立ち尽くしてしまっている状態といえます。

現実が地獄のようだから絶望しているというわけではなく、その地獄から這い出す道筋が見えないから絶望するのです。人生の中で落ち込んだり、絶望したりしても構いません。それを振り払う方法、数学の問題でいうところの公式や解き方を知ってさえいればいいのです。

ではこの「理想と現実のギャップを埋めよ」という問題は、そもそもどのように発生したのでしょうか。頭の中で思い描いている理想と、実際に目の当たりにしている現実との間にギャップが生じているから問題となっているわけですから、理想と現実を比較しなければその問題は発生しなかったはずです。

ですからまず前提として、あなたが理想と現実を比較したから問題が発生したということになります。ではこの理想と現実の比較は、本当に正しいのでしょうか。仮に現実の見方が間違っていたら、理想と現実の比較は途端に無意味なものになるでしょう。

タイトルとURLをコピーしました